教育とscienceに関するNarrのブックマーク (6)

  • なぜ科学教育は必要か

    はじめに 1959年に「二つの文化」1)という講演の中でスノー(Snow, C. P.)は、「イングランドで知識人は人文と自然科学の二つのグループに分かれ、お互いに他方を理解するのが困難になり、同じ英語を語っているにも関わらず、コミュニケーションが殆どない」と論じた。彼はこの二つの文化の間に「橋を架ける」必要があると感じてこの講演で問題提起をしたのである。以来40年が経ったが、この二つの文化の間の溝は埋められるどころかますます広がっていくように見える。しかもこの二つの文化現象は、イギリスのみならず、日を含めた全世界において認められる。 この「二つの文化」の存在を認める学者の多くはこれを教育の問題として捉え、教育、特に一般教育を通して改善がはかられると期待した。例えば科学者のあいだには文科系学生の科学教育により、この「二つの文化」間の溝を埋めようとする試みもあったが、顕著な成功があったとは

  • 反科学・反理性と科学教育:北村 正直 (元)北海道大学

  • 反科学・反理性と科学教育

    1.はじめに 「科学の性質や規則性,真理などは,人間に無関係に自然の中に存在するものではない。自然の性質や規則性は,人間が見通しとして発想し,観察,実験などにより検討し承認したものである。つまり,自然の性質や規則性,真理などは人間の創造の産物である。」1)これは昨年発行されたある理科教育解説書からの引用である。 現在の科学は,ガリレオ,ケプラー,ニュートン以来,数百年にわたり,科学者と呼ばれる人間によりつくりあげられたことは確かである。しかし,自然科学の理論や法則は道路交通法の規則,市議会で制定される都市の美観条例とは異なり,ある程度の任意性はあっても,上記の引用文のように人間が創造したと言い切る科学者は殆どいない。また科学理論の成立は芸術作品創作や文芸作品の創作活動とも同列に論ずることはできない。科学は"普遍的に成り立つ",すなわち"人間に無関係に成立する"という科学の性質のゆえに,人

  • なぜ科学教育は必要か

    はじめに 1959年に「二つの文化」1)という講演の中でスノー(Snow, C. P.)は、「イングランドで知識人は人文と自然科学の二つのグループに分かれ、お互いに他方を理解するのが困難になり、同じ英語を語っているにも関わらず、コミュニケーションが殆どない」と論じた。彼はこの二つの文化の間に「橋を架ける」必要があると感じてこの講演で問題提起をしたのである。以来40年が経ったが、この二つの文化の間の溝は埋められるどころかますます広がっていくように見える。しかもこの二つの文化現象は、イギリスのみならず、日を含めた全世界において認められる。 この「二つの文化」の存在を認める学者の多くはこれを教育の問題として捉え、教育、特に一般教育を通して改善がはかられると期待した。例えば科学者のあいだには文科系学生の科学教育により、この「二つの文化」間の溝を埋めようとする試みもあったが、顕著な成功があっ

  • 宇宙人は羊に似た何か別の生き物の夢を見るか?:ニセ科学フォーラム2008 - livedoor Blog(ブログ)

    日、学習院大学で行われた「ニセ科学フォーラム2008」に参加してきた。 まずは左巻健男先生から挨拶として活動の趣旨説明。 ・科学技術用語の“雰囲気”を知っていると、ニセ科学にダマされずにすむ ・かしこい消費者になってほしい ・科学ニュースを楽しめるようになる など 続いて、菊池誠先生の「ニセ科学問題の見取り図」というタイトルの講演。 ●ニセ科学とは ・見かけは科学を装っているが科学ではない (“見せている”場合と“見えている”場合がある) ・科学的な手続き(検証、整合性)をふんでいないもの 【例】 創造論、ID論、ルイセンコ事件、ニューエイジサイエンス、ホメオパシー、怪しい水商売(還元水、クラスター)、波動、水からの伝言、マイナスイオン、ゲルマニウム、ゲーム脳、EM菌 日のニセ科学はオリジナリティが低いが、水からの伝言に関してはオリジナリティが高く、世界に誇れるニセ科学だ、というくだり

  • ニセ科学フォーラム2008@学習院大学 - 小池靖:インターネット、スピリチュアリティ、そして社会学

    に行ってきました。 「水からの伝言」などを批判している学者グループによるもので、たいへん面白かったです。 ニセ科学と言っても、その範囲は波動から9.11陰謀論などにまで及びます。 一番興味深かったのは、クーン、村上陽一郎らの「新しい科学観」が、悪しき相対主義的な科学観につながり、ニセ科学を結果として後押ししてしまうことになりかねないという批判でした。 科学も人間が作ったもので、理論によって事実も違ってくる…こうした発想は、小学校の理科教育の指導要領(の副読)にすら見受けられるそうです。 生活感覚で言うとどう見ても自明なことを、認識論に耽溺することで話をかえってややこしくしたり、オカルト的なものを結果として応援してしまったりするのは、社会科学のほうがむしろ多く見られるような気が私はします。 また、ニセ健康情報の批判的権威による話も有益で、サプリメント、抗酸化物質に効果は証明されておらず、も

    ニセ科学フォーラム2008@学習院大学 - 小池靖:インターネット、スピリチュアリティ、そして社会学
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