はじめに 1959年に「二つの文化」1)という講演の中でスノー(Snow, C. P.)は、「イングランドで知識人は人文と自然科学の二つのグループに分かれ、お互いに他方を理解するのが困難になり、同じ英語を語っているにも関わらず、コミュニケーションが殆どない」と論じた。彼はこの二つの文化の間に「橋を架ける」必要があると感じてこの講演で問題提起をしたのである。以来40年が経ったが、この二つの文化の間の溝は埋められるどころかますます広がっていくように見える。しかもこの二つの文化現象は、イギリスのみならず、日本を含めた全世界において認められる。 この「二つの文化」の存在を認める学者の多くはこれを教育の問題として捉え、教育、特に一般教育を通して改善がはかられると期待した。例えば科学者のあいだには文科系学生の科学教育により、この「二つの文化」間の溝を埋めようとする試みもあったが、顕著な成功があったとは