武満徹が亡くなったとき、若い世代の作曲家の吉松隆が「レコード芸術」に次の文章を書いていた。亡くなった武満を皆が絶賛していたとき、この吉松と湯浅譲二の批判が印象に残った。長いけれど全文引用したい。 吉松隆「11月のカナリアは歌を歌いたかったのか? ーー武満徹のポップ・ソングを聴く」 武満さんの訃報を聞いた時、彼がしきりに「好きな作曲家はポール・マッカートニーだ」とか「ガーシュインみたいな作曲家になりたかった」とか言っていたということを思い出していた。 最後のCDが石川セリの歌うポップ・ソング風のアルバムだったのも象徴的だったが、二十世紀を代表する超一流の大作曲家「トオル・タケミツ」も残念ながらメロディ・メーカーとしては一流ではなかったことを最後に証明する結果になったのは少し悲しかった。 武満さんは、そもそも音楽に目覚めたのは防空壕で聴いたジョセフィン・ベイカーの歌だというし、戦後はアメリカ進