「日本の原発は絶対に安全」「事故などあり得ない」などという言論が保守の中に横溢していた時期である1986年に書かれた西部邁さんの言説の抜粋です。 最近では、保守の中で、西部邁さんに私淑している中島岳志さんが「原発に反対」との意思を表明していますが、当の西部邁さんは、原発反対ではないであろうながらに、25年前に「保守」派のど真ん中にいながら、既に氏独特の思想のバランスバーを以て平衡感覚ある言明をしておられました。 西部邁『批評する精神』(1986年) (前略)それにしても、チェルノブイリにおいて技術そのものの悪魔性をみないような論評は、というよりも技術への楽観論に淫する人間というものの児戯性をみないような論評は皮相に過ぎる。 広瀬氏のいうように原発において「日本こそがメルト・ダウン直前にある」のかどうか、私には不分明である。しかし、わが国だけが原発の安全神話の動揺なり崩壊なりから自由でおれる
■大人の化けの皮 「どの時代でも青年が暴れると、それを見た少年は『抵抗の正義』を感じ取って興奮する。僕からみると全共闘世代はちょうど弟のような世代。僕らが彼らの反体制気分を扇動をしたと考えると、悪いことをしたかもしれない」 昭和40年代前半の全共闘運動より10年ほど前に起きた全学連運動。そのリーダーとして東大在学中に教養学部自治会委員長を務め、60年安保を闘った西部邁さん(69)。現在では保守論客として知られるが、当時は「左翼活動家」だった。その西部さんも中高生時代は、日本共産党の一部などひと世代上の若者たちが行った武装闘争に刺激を受けていたという。 小学1年生で終戦を迎えた西部さんは戦後教育の「一期生」でもあったが、民主主義やヒューマニズムといった教えを、幼心にも「きれい事だ」と感じていた。敗戦を境に、まるで手のひらを返したように思想を変え、戦勝国の米国になびく大人たちの姿が信用できなか
私は西部ファンでもないし、どちらかというと批判的な立場を取ることが多かったのだが、この人の思想というのはある意味スジは通っているとは思っている。基本的に左翼から転校して右翼になった人は、藤岡信勝や小林正など、左翼のいやらしさと右翼のやらしさを両方兼ね備えた最低人間が多いのだが、西部だけはまともだと思っている。 まず、この人の論説を読む前に、以下の点を留意されたい。 アメリカは左翼である。西部に言わせれば、アメリカは新興国で、アメリカ的な思想はすべて進歩思想=左翼である。日本やヨーロッパなど伝統の存在する国でしか、保守主義は存在できない。 産経新聞は西部氏の論説を載せるのはいいが、アメリカ主義を賛美し、企業優先の経済政策を賛美し、弱者救済を社会主義だと批判し、そのような政策は左翼だと批判してきたのは、何よりも産経新聞ではなかったのか? 「平等」という価値観は、とかく右派からは徹底的に嫌われ、
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