ラフルアー・みやざわ・けいこ 宮澤喜一元首相の長女。慶大法学部卒業後、米コロンビア大大学院MBA取得。ルフトハンザ航空客室乗務員、同社広報担当、エスティローダーPRディレクター、森英恵プレタポルテ部門会社のパリ設立などに携わった後、トラベルジュエリーの輸入販売会社「CLUB SAH」を設立、現在は代表取締役。夫は米国の外交官で現在は駐マレーシア大使。
ラフルアー・みやざわ・けいこ 宮澤喜一元首相の長女。慶大法学部卒業後、米コロンビア大大学院MBA取得。ルフトハンザ航空客室乗務員、同社広報担当、エスティローダーPRディレクター、森英恵プレタポルテ部門会社のパリ設立などに携わった後、トラベルジュエリーの輸入販売会社「CLUB SAH」を設立、現在は代表取締役。夫は米国の外交官で現在は駐マレーシア大使。
――啓子さんはお通夜で「父は自宅の自分の部屋で亡くなりました。本当に強運な人でした」と挨拶されましたが、最後のころの宮澤さんはどんなご様子だったのですか。 宮澤 父は最期まで、家族や親戚と会って、話をしていました。本当の寝たきりになったのは、最後の4、5日だけでした。亡くなる1週間前まで、リハビリを兼ねて週に1、2度は事務所に出かけていました。最後の最後まで新聞とNHKのニュースを必ず見ていました。しかし、政治家として、活動ができない父は、生きていても満足ではないだろうと私は思っていましたし、たぶん父も自分の与えられたミッションはもう十分果たしたと思って亡くなった。ですから、本当に寿命だったと思います。 宮澤 父にセカンドライフはなかったし、必要もなかったと思います。まず、父は普通の人ではなかったし、たとえば、引退した人が好む観光旅行や趣味の習いごとなど、普通の楽しみにはまったく興味はあり
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