写真:岩波友紀 その日の夜も飲んでいた。グラスの中で揺れているのはビールでも焼酎でもなく、ウーロン茶だ。いつもと同じく誰かが店に来るのを一人静かに待っていた。 居酒屋「いふ」――そこは当時、避難指示が解除されたばかりの福島県浪江町(なみえまち)で唯一、夜間に飲み食いができる場所だった。JR常磐線の浪江駅から徒歩5分。故郷に帰還した人々が日没後、長すぎる夜を嫌ってぽつりぽつりと集まってくる。 「偉いねえ、三浦さんは。酒も飲まずに」と気のいいマスターがカウンター越しに語り掛けてくる。「いつまで新聞配達を続けるつもりなの?」 「ええ……いつまでですかね」 店は長らく、私にとってなくてはならない取材拠点だった。「いふ」の2階には主に除染作業員などが寝泊まりできる下宿が併設されており(「新妻荘」というのがその正式な名称だったが、多くの利用者が階下の居酒屋の名前で呼んでいた)、私は浪江町内で新聞配達を