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ブックマーク / locust0138.hatenablog.com (3)

  • ヒガンバナに見る「和食」の貧しさ−伝統の捏造− - バッタもん日記

    1.はじめに 昨年12月に、「和」がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されました。 私個人は、この件に関して複雑な印象を抱いております。日文化が世界的に評価されたことは喜ぶべきだと思いますが、この件が一部の偏狭な「和原理主義者」や「の排外主義者」に利用される可能性があるからです。 「和」は「伝統的な日文化」であると定義されていますが、これは非常に曖昧な定義です。「伝統」とは一体何でしょうか。「和」は「伝統的」に世界に自慢できるほど豊かだったのでしょうか。今回は、「和」と「伝統」の関係について、とある有毒植物を例として考えてみたいと思います。 2.ヒガンバナはどう利用されてきたか ヒガンバナは恐らく中国を原産地とする植物で、日に人為的に導入されたとされています。水稲栽培の技術を有する人々の手で持ち込まれたのでしょう。水田の周りなどに群生しており

    ヒガンバナに見る「和食」の貧しさ−伝統の捏造− - バッタもん日記
    Nean
    Nean 2014/06/09
  • 疑似科学における「個人の自由」「自己責任」という欺瞞 - バッタもん日記

    以前にも書きましたが、疑似科学信奉者は批判されると、「個人の自由」「自己責任」という言葉を持ち出して自分の行為を正当化し、批判を無視します。これは正しい態度なのでしょうか。 私は全くそうは思いません。なぜならば、疑似科学に傾倒した人間は必ず他人を巻き込むからです。他人を巻き込んだ時点で、「個人の自由」「自己責任」という言い訳は全く成立しなくなります。 よく問題になるのが、いわゆる「自然出産」です。簡単に説明すると、出産の際に病院(もしくは病院と密に連携している助産所)以外の場所で出産することです。よくある「天然志向」「医療忌避」の一種であり、何ら自慢できる物ではありません。そして、医療が介入しないのですから、病院で出産する場合に比べて事故のリスクは大幅に上昇します。 この「自然出産」を推進・擁護する連中は、口を揃えて「人(母親や家族)がリスクが上がることを承知の上でやっているのならば問題

    疑似科学における「個人の自由」「自己責任」という欺瞞 - バッタもん日記
  • 「批判する前に自分でもやってみろ」という詭弁 - バッタもん日記

    既に色々な方が述べていますが、疑似科学信奉者は、立証責任を転嫁する傾向が非常に強いと見られています。 有名なところでは、疑似科学批判者として知られるアメリカの心理学者、テレンス・ハインズ博士は、疑似科学信奉者の特徴として、検証を拒否することと、立証責任を転嫁することを挙げています。 具体的に言うと、「○○(疑似科学)が正しいと証明しろ」との批判を受けると、「○○が間違っていると証明しろ」と反論するわけです。 これは一見正論のようですが、来自分が行うべき検証を批判者に転嫁しているわけで、非常に無責任かつ不誠実な態度です。 そもそも、根拠となる検証を批判者に押し付けている時点で、自分の主張には何の根拠もないことを認めているも同然です。 山形大学准教授の天羽優子氏は、以下のように述べています(抜粋)。 「自ら立証責任を果たさないニセ科学は、科学の世界では却下」 科学では、常に、新規なことを主張

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