被災地で焼きそばを焼いたキムタクは感謝され、 エンジニアが焼いた焼きそばは別の意味で炎上してしまう。 同じ人間なのに何故なのか
ってYahooニュースでチラッと読んだんだけど、 被災したその方、 こう言うのって生死に関わるから、 とりあえず生きること優先できないの? イスラムの神は寛大で、後で謝れば許してくれるんでしょ? そこまでして、厳格に守らなければいけないの? こういう、機転の利かないのって ほんと頭おかしいと思う。 とりあえず、生きるのが優先じゃないのかいな。
なんて震災が起きるとみんなで一緒におにぎり食べなくちゃいけないわけ? 自分は個人主義だから、食事を見ず知らずの人と共になんかしたくない。だから自分の分の食事は備蓄する。 もちろん、本当に困ったときは、炊き出しのお世話になりますよ。でも、やっぱり炊き出しって嫌だ。 でも、「炊き出し」っていうシステム自体が、この現代に合わないと思うのよ。「個」の時代ですよ今は。ベースは「個」だけど、自分が出来る範囲でゆるやかに助け合うのが今風では。 炊き出しが、「震災時の最重要事項」みたいにされてるのも、なんか違うと思う。 おにぎりってセレクトもさ、おにぎりならほとんどの人が文句言わないだろう見たいな、「大多数の論理」が働いてる。 全否定はしませんけど、終戦直後も今も、炊き出しのあり方が全く変わってないっていうのは、うーん。
それにしても「食べて応援」って今世紀最大の迷言・珍言だと思うわ、何百回見てもこの短い言葉に幾重にも含まれた現代ジャップのバカさ加減、味わい深さに感動する。 もう生きてるうちにこれ以上こんな言葉に出会えないと思う。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く