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家族と人生に関するNettouochiのブックマーク (25)

  • 自分史

    当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析が捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。 以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである。 私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。 母は底辺出身で、元ヤクザの幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれた秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である。 父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋をうような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席で卒業し、好きな分野でっていこうと考えていたが、推薦

  • 息子が生まれた

    この間、長男が生まれた。 生命誕生の感動と、この儚い命を力の限り守っていこうという決意めいた感情が湧いた。 が同時に、自分の人生の主人公が自分から息子になった気もした。 もう自分が一番になるために、なにもかも投げ打って一生懸命になることができない気がして、もやもやする。 世間体とかそういうのじゃなくって、自分自身どちらもやりたいけど矛盾してる状況にもやもやしている。 自分がもう一人いたらいいのに。 結婚した時は相手が大人だったから、行動に制限とか、自分でブレーキかけることはなかった。 子どもを持つって大変なんだな。

    息子が生まれた
  • 人生に疲れた

    仕事も家も彼氏も友達ももーみんないらない ずっと、何も考えないで寝てケーキべて寝てつけめんべてうんこして寝たい。 何が仕事だくだらねー あんな糞みたいなおっさんどもになんで媚び売らなきゃいけねんだよバーカ 家も居心地悪い 疲れるだけだな 彼氏もつまんない もうテンプレのハーレムアニメ薦めてくんの気で止めて。つまんねーんだよ。 良い歳してくだらねんだよ 友達もうざい クソニートが もう疲れた。寝させてください。 私が居なくなれば嫌な思いしないよね。みんな。 みんな、嫌いだよ。

    人生に疲れた
  • 妻は死に、子は離れ、兄弟と共に住むが、彼らも先立った。 私の入院の朝、..

    は死に、子は離れ、兄弟と共に住むが、彼らも先立った。 私の入院の朝、万感の思いで玄関の電灯を消す。

    妻は死に、子は離れ、兄弟と共に住むが、彼らも先立った。 私の入院の朝、..
  • 私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。 全く知らないおじさんに..

    私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。 全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。 一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。 しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコがべれなかった。 これは、私と、ちょっと変わったお母さんのお話です。 お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーのフードコートでのアイスクリーム売りが彼女のお仕事だった。 私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞の漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎の三毛ホームズくらいなら読めるようになっていた。 絵を描くのも大好

    私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。 全く知らないおじさんに..
  • 人生、うまくいかないね

    子供の頃から、どこにいても、独りになるし、家にいれば殴られたり、いない子扱いだったりで、 友達できないし、職場でも孤立したり、敵対心を向けられたりで、味方もいないので、やめることになる。 もう転職何回したか分からなくなってきた。 仕事やめると、心の糸が切れて、全部抜けてしまって、何も身についていない。 真面目に、誠実に人と関わってるだけじゃ、だめなんだなって事は分かるけど、それ以外にどうしたらいいか分からない。 見た目もこれ以上どうしようもない。 どちらに進んでも詰みの選択肢ばかりで、もう、何をどうしたらいいか分からない。 http://anond.hatelabo.jp/20160401010343 ありがとう、ございます。しばらく日雇いのバイトをしようと思います。

    人生、うまくいかないね
  • 父の人生

    人が過去を語ったことは殆どない。 父は75年前、とある海沿いの温暖な田舎町に生まれた。祖父はそこそこの有力者であったが暴力的で、祖母は陰険な人であったと母は教えてくれたが、それ以外のことを私は何も聞いていない。 高校を卒業後証券会社に就職したが半年で辞めた父は、その後数年、伯父に生活費を援助してもらいながらニート生活を送った。 幸か不幸か伯父は真面目でお人好しだった。自ら脱サラし、地方都市に電気工事会社を立ち上げそこに父を雇い入れた。父はしぶしぶ電気工事士として働き始めたが、貰った給料はすぐに博打に消えてしまったらしく、伯父はその度に別途生活費を渡していたという。 のんべんだらりと生きてきた父だが、38歳の時に運命的な出会いをする。母は田舎から地方都市に出てきたばかりで、当時20歳だった。 付け焼刃でがむしゃらに働き始めた父の姿に母はまんまと騙され、二人は半年でゴールイン。が、結婚してす

    父の人生
  • 当方40歳過ぎのおっさん。中卒のワープア。 顔面はグロ画像で素人童貞。 他..

    当方40歳過ぎのおっさん。中卒のワープア。 顔面はグロ画像で素人童貞。 他人の目線にびくびくしながら今までの人生過ごしてきた。 ・・・もう疲れたよ。 自分が生きてる限り、楽しいことは一切ない。 他人が当たり前に教授してるような幸せも、 俺は一生味わうことはないんだよ。 それでも、こんな気持ち悪い俺でも、 母親からしたら大切な一人息子なんだよ。 少なくとも母親が死ぬまでは生きないと・・・なんて思って頑張ってきた。 母が先週亡くなった。 孫の顔見せてあげられなくて、親孝行の一つもできなくて、 ごめんな、母ちゃん・・・。 もう俺が死んでも悲しむ人なんていないんだな。

    当方40歳過ぎのおっさん。中卒のワープア。 顔面はグロ画像で素人童貞。 他..
  • ヤフー知恵袋には人生が詰まっている

    病気のことを質問している人がいてその人の質問履歴を見たら 嫁さんがその病気で死んで、落ち込んでから立ち直って、一人で娘を育て上げて大学卒業まで見届ける一大ストーリーにたどり着いた。

    ヤフー知恵袋には人生が詰まっている
  • 孤独氏の始まり

    今日は会社をズル休みした。 朝起きたら、なんとなく行く気がしなかったから。 朝ごはんをべたら、すぐ布団に戻り。二度寝。 そして、さっき目が覚めた。 ぬるめの白湯をグイと飲んで、ノートパソコンを開きFacebookをざっと見てみる。 これもなんとなくだ。 故郷の知り合いの投稿が目立った。 家族が増えた。 地元の自警団の寄り合い。 親戚一同との宴会。 地域の習わしのによる、ご近所とのイベント。 どれも酷く懐かしい。 そりゃそうだ。 そこで生まれ育ったのだから、この時期にそれらを経験してきた。 寒い空。石油ストーブの匂い。たき火の匂い。甘酒の匂い。 みんなは、ちゃんと家族を作って、子供たちに経験させてるんだな。 ふと涙がこぼれる。 今、俺は東京で一人だ。ありがたい事に、普通以上の暮らしができている。 でも家族はいない。嫁。子供。 全ていらないと、仕事に全力を注いだが、人生が残り半分だと実感する

    孤独氏の始まり
  • 同窓会が主婦の会になっていて、ほとんど言葉を交わせないまま終わった。 ..

  • 快便だった

    母さんの美味い飯をべ ブリブリうんこして しこしこオナニーする 最高の 人生じゃないか 無職だけど みつを

    快便だった
  • 反面教師の連鎖

    私の祖母「私の母はシングルマザーで生活が辛かった。早くに夫をなくしてしまったから、私と私の母は親戚の家にお世話になって肩身が狭い生活をした。 母は手に職がなかったのでとても生活が苦しかった。 だから私は手に職をつけて夫に先立たれたり収入がなくても生活に困らない女性になろう」 ↓ 祖母、自宅でお稽古事の師範となりそこそこ稼ぐ ↓ 私の母「私のお母さんは働いてて、お金を稼いでくれてる。おかげで田舎町のジャスコじゃなくて都会のデパートまで連れて行ってもらえて、同級生よりオシャレな服が着れる。 けど、いつもお母さんは夜八時くらいまでお仕事だから、夜ご飯が遅い。たまに私が作らなきゃいけない。 勉強したり、テレビ見たりしたいのに…お母さんとゆっくりお話したいのに、お母さんは仕事関係の人と話してばかりで寂しい。 私は子供ができたら、子供にご飯をきちんと作ってあげる母親になりたい。子供に寂しい思いなんてさ

    反面教師の連鎖
  • 20代最後の12月が半分過ぎた。 もうあと半年すれば30になる。 残り半年、やる..

    20代最後の12月が半分過ぎた。 もうあと半年すれば30になる。 残り半年、やることすべてが「20代最後の」という枕詞がつく。 結局、というかやっぱり結婚はできなさそう。 相手がいない、というかまず探そうとしてないから。 高校のときに3ヶ月だけ女子と付き合ったことあるけど、そんだけ(フラれた)。 大学でも社会人なっても基引きこもりだから何もない。 そういう意味では、半年ってのは魔法使いになるまでの残り時間でもあるな。 一回だけ転職して、年収は少し増えたけど、 やっぱり微妙に自分に合ってない感じがしてるし、 裁量労働制で残業代固定の割に残業多いから、 30代のうちにまた転職しそう。 20代は就職して転職しただけで終わったかな。 妹が先に結婚したけど、結婚後に病気で子どもが作れない体になっちゃったから、 孫の顔って意味では俺しかいないんだけど、どうもな・・・ なんだかんだであっというまの約1

    20代最後の12月が半分過ぎた。 もうあと半年すれば30になる。 残り半年、やる..
  • 自分が何人いたら大村智一人と同等の価値になるんだろう

    あんなに多くの人を救った価値のある人もいるのに自分は比べ物にならないくらい価値の薄い人生だなぁもっと色々考えて生きたら違ったのかしらと考えていたが、自分の子供は一人で大村教授より尊い存在のような気がしたから、これが親の感情って奴なのかと思った。

    自分が何人いたら大村智一人と同等の価値になるんだろう
  • 毒親か

    子どもに言われたことがある。そして現在進行形で言われていることでもある。「子供の時に私を理不尽に怒鳴りつけただろう」。でも私はほんとうに覚えていない。そんなひどいことを言ったのか。娘が言うことには私が「ゲラゲラと笑いながら絵を破いてきた」そうだ。10年以上も前の話らしい。「才能がないのにそんなことをするな」と笑いながら私は低学年の娘に言ったらしい。他に、私が娘に「これをかたづけておいて」とたのんで娘が言われたとおりに片づけた後、私は娘に「なんで片付けた、出しておけと言っただろう」といって怒鳴り散らしたらしい。私は何一つ覚えていない。娘の記憶違いではないかと説得した。でもそれで娘は余計に激昂した。娘は私を夜中にたたき起こすようになった。ああ、私は覚えていないけれどこの子に昔そんなことをしてしまったのかと思いながらもどこか納得がいかないような気分にもなる。私が娘の人生を無茶苦茶にしたのだから娘

  • 月に一度くらい楽しみな日があれば充分

    隣の県に住んでいる友達と飲む日とか、 大学時代の友達と一泊二日の旅行に行く日とか、 なかなか予定が合わない友達と演劇を観に行く日とか、 家族で美味しいものをべに行く日とか、 祖父母の家を訪ねる日とか、 出会ったばかりの男の人とデートしてみる日とか。 目まぐるしい生活を送るのに向いてないから、 私にはこれくらいがちょうどいい。 これくらいで、幸せ。

    月に一度くらい楽しみな日があれば充分
  • 40歳。人生が終わるということを自分はまだ半分程度しか自覚がない

    40歳。 万能のような感覚がある一方で 終わるという感覚の自覚を無視できない。 70の父親は頻繁に死を語るようになった。 自分は死恐怖症だ。突然、死の恐怖を自覚する。とはいえ無自覚でいられる時間も多く。 怖い。けれどもその恐怖は先達にとってと自分では温度差があり。 話せないのがかなしい。 話したところで、余裕があるもののたわごとかと切り捨てられることもかなしい。 死にゆく存在であるのは同じなのに 死なない存在であれたら、ほとんどすべての悩みも解決するだろうに

    40歳。人生が終わるということを自分はまだ半分程度しか自覚がない
  • 40になってしまった

    これからどう生きていこうか。 ローンはもうすぐ終わるけど、子供とを抱えて。 カネや損得で割り切らない人生、無理だろうなぁ。

    40になってしまった
  • うちの親父なにげに人生の成功者だった

    工業高校卒老舗企業の万年平社員(昇進試験に学歴が必要だから) 長い独身時代は繁華街で遊び倒したが幼なを得て落ち着く 京浜東北線沿線駅徒歩15分にに建てた一戸建て(土地は相続)に毎日19時には帰宅 酒はやめたが毎年趣味旅行に行く 平社員ではあったが福利厚生がいいことで有名な企業で、勤続40周年記念には会社の金で1週間ほど旅行にも行った 愛は早くに亡くしたが子供は大学へもやって既に自立した 子供に必要だと思うものを与えてやれなかったことはない 定年退職後は自分との母親の介護に苦労したものの、寝たきりで長引くようなことはなく数年で見送り、今はマンションの管理人をしながらあちこち旅行へ行く暮らし 老後のたくわえもそれなりにあるようだし、いずれは子供が介護してくれる 私がこのような人生を期待できないのは時代が悪いからということ以上に親父のような恐ろしくコツコツ型の人間ではないからだが それに

    うちの親父なにげに人生の成功者だった