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ブックマーク / www.manabi.pref.aichi.jp (4)

  • 都市に棲む人々(横浜の寿町について)

    私はこの大学に来る前、横浜で31年間ソーシャルワーカーとして働いておりまして、その最後の6年が寿町というドヤ街でした。私が行ったとき、初めてそこに女性ワーカーが入るということになったんです。それまでは非常に危険だということで、男性のワーカーのみだったんですけれど、私のようなベテランはそういうところに行ってくださいということになって、私もおっかなびっくり行ったんです。6年そこでじっくり観察して、私が得たものは非常に大きいものでした。 横浜の特徴というのを私が簡単に説明しますと、寿町という、ベッド数として約1万人くらい用のドヤ街、寄せ場があるということですね。それがひとつ大きな特徴で、それからもう一つ大きいのは、横浜は、生活保護法をドヤ街に早い時期から実施したことです。それに加えて、援護対策課というのも私が入った頃からありまして、生活保護法外の法外援護として、パン券やドヤ券という現物給付、そ

    Nihonjin
    Nihonjin 2012/12/12
    「夏になりますと、ドヤは最悪の状況で、夜はゴキブリが缶詰にいっぱい」「前の晩に泊まった人の吐いた反吐がそのままの布団に寝るんだ。そんなところに泊まれるか」「ドヤ券、パン券(…)朝、その順番を争って殺人」
  • メロドラマ・女性・イデオロギー

    Nihonjin
    Nihonjin 2011/09/25
    「「メロドラマとは現状維持の中で戦うという矛盾する構図を持っている」というグレッドヒルの指摘は、メロドラマの政治性を考える場合に重要な意味を持っている」/なるほど。
  • メロドラマ・女性・イデオロギー

    (平成13年12月22日に行われた愛知県立大学公開講座「映画をいかに見るか。いかに読むか。」第2回の要約です。)

  • メロドラマ・女性・イデオロギー - メロドラマ再評価と論争

    メロドラマ映画とは単なる気晴らしの映画だったのでしょうか。映画のメロドラマも過小評価され続けました。それが再評価されてくるのは70年代を待たなければなりませんでした。70年代以降に、大衆文化とか大衆芸術の価値を積極的に認めようとする動きが出てきます。 芸術に階級はないと思われるかもしれませんが、例えば純文学と大衆文学とは違い、純文学の方がやはり難しいことが書かれているし、人間の真実を書いているではないかと考えられていました。大衆文学とは読者に迎合した消費的なものであるというわけです。同様に、絵画と写真では絵画の方が優れている、なぜなら、写真はだれでも全自動カメラで写せるからだということになります。そのような階級序列性への疑義が出され、その境界を見直そうとする動きが顕著になったのが70年代以降です。 最初の試みが、イギリス人学者、ピーター・ブルックスの『メロドラマ的想像力』(1976年)

    Nihonjin
    Nihonjin 2011/09/08
    「つまり人間とは戦争があろうと何があろうと、最終的には自分の個人的な経験で納得することを選んでいるのではないかというのです。そして個人的な感情や経験がメロドラマに最もはっきり表現される」
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