2018年1月6日のブックマーク (2件)

  • 小泉進次郎が今年から新聞を読むのをやめた理由(常井 健一) @gendai_biz

    毎年の恒例行事で驚きの発言 小泉進次郎(36)の仕事始めは、選挙区内にある少年サッカーチームの「初蹴り」と決まっている。今年も1月3日正午過ぎに、ライトブルーのウインドブレーカー姿でグラウンドに現れた。 「あけましておめでとう!」 駆け寄ってくる少年たちとハイタッチを繰り返す。迷わずピッチに入り、ボールを追いかけ始める。元高校球児、政治家になる9年前まではサーファーでもあったとはいえ、会議ばかりが続く永田町での運動不足を感じさせないほどの身のこなしで巧妙にボールを操る。これが、初当選から変えていない毎年恒例の「儀式」だ。 現場には正月三が日から働くのを厭わない物好きな記者だけが顔を出し、進次郎がフランクに立ち話するのも恒例行事だ。普段から「場の空気」を読もうとしない私のような取材者に対しても、一年で最もリラックスした表情で雑談に応じる場面でもある。 「昨日(1月2日)は、おにぃ(小泉孝太郎

    小泉進次郎が今年から新聞を読むのをやめた理由(常井 健一) @gendai_biz
    Nobkz
    Nobkz 2018/01/06
    新聞とテレビも無駄だけど、twitterやるのも無駄なのでやめたい。
  • 日本よ、この期に及んで「古文・漢文」が必要だというのか

    いいかげん納得のいく理由を教えてくれ。 今年ももうすぐセンター試験だ。何の罪もない高校生たちが、「古文・漢文」という暗記ゲームを強制され、不当にも人生を左右されている。 おれは実学至上主義者ではない。学問が、社会に対して有益である必要はこれっぽっちもない。そもそも「古文・漢文」という"学問"が、根的に無意味だと立証するだけの道具はない。大学で専門的に研究している人たちにとって、古文・漢文はどこまでも「面白くて」「魅力がある」のも理解できる。「役に立つ立たない」じゃなくて「好き」で学べるのは素敵なことだと思うし、好きな人のためにそういった場を用意するのは社会の義務だと思う。多少なりとも共感能力と良心があるんだったら、文学部不要論とか言ってないで税金投入しろよ、って思う。 ようするに言いたいのは、ここでの古文・漢文不要論と、大学での文学部不要論は全くことなる議論だってこと。 専門的な学問を「

    日本よ、この期に及んで「古文・漢文」が必要だというのか
    Nobkz
    Nobkz 2018/01/06
    いやぁ、古文、漢文ですらできないのに、弁護士になれるわきゃねーだろとは思う。