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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (3)

  • “お金に困っている人は、えてしてお金がかかる” - シロクマの屑籠

    精神保健福祉の分野では、精神科医はわりと脇役で、社会復帰や自立支援にかかわる職種(市役所の福祉課職員、保健師、精神保健福祉士、民生委員 など。ときには警察官や弁護士も)がメインとなって連携が成立している。そうした、他職種の人達とお金の問題をディスカッションしている時に、ふと右のようなことを思うことがある。――「お金に困っている人は、えてしてお金がかかる」んじゃないか――と。 どういうことかというと、生活費が入ると右から左へ全部使ってしまう人や、いわゆる“やりくり”が出来ないというより“やりくり”が完全に欠落しているような人が、精神医療の内側にも、精神医療の外側にも、どうやらそれなりの確率で混じっているっぽいからだ。 1.買い物をする際に、金銭の節約という概念が無い。欲しいと思ったら我慢せずに買ってしまう。放っておけば、一ヶ月の収入の大半をたちまち使い果たしてしまう。 2.生活技能・生活感覚

    “お金に困っている人は、えてしてお金がかかる” - シロクマの屑籠
  • 日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シ口クマの屑籠(汎適所属)

    「最近日から寛容さが失われている」のは何故か - Togetterまとめ 新幹線の車内ではしゃいでいる子どもや、夜遅くまで騒いでいる大学生に対し、私達はどれだけ寛容な気持ちを保っていられるだろうか?次世代を担う子ども達の、年齢相応の振る舞いに対してさえも、寛容よりも非難が勝る人が増えているのではないだろうか? 寛容さとは正反対の、きわめて自己中心的な人達もよく見かけるようになった。自分の意に沿わない相手に攻撃的な人間や、他人に際限なく要求する人間が、モンスター○○などと呼ばれて問題視される時代でもある。*1 これらを踏まえて「昔の日人が寛容」で「現代の日人は寛容じゃなくなった」と結論づける人は多そうだ。少なくとも、見かけ上、日から寛容さが失われたように見えるのはその通りかもしれない。 「身内」には寛容でも「他所者」にはそうでもなかった日人 では昔の日人は、当に寛容だったのか?

    日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シ口クマの屑籠(汎適所属)
  • ただ努力を集めても形にならない――あなたが組み立てない限りは - シロクマの屑籠(汎適所属)

    http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/972 上のリンク先にあるように、努力って言葉、よくみかけますよね。 「お前は努力が足りない」だの、「努力したのに報われない」だの、「努力するだけ無駄」だの…。思いいれのシロップをどっさりかけられた、愛憎いりまじった“努力”という言葉に、一喜一憂する人の姿はインターネットの内外で絶えることありません。これだけ皆が熱烈に言及するあたり、当はみんな、今でも努力が好きで好きでしようがないのかもしれませんね。 ラブコメ風に書くなら“大好きな努力クンがあたしに微笑んでくれないプンプン!”みたいな感じで。 ただ努力を集めるだけの人≒ただ積み木を集めるだけの人 それはさておき、努力って、積み木とかレゴブロックみたいなものだと思うんです。材料と工夫次第では色んなものが組み立てられる・けれでも何も考えずに集めてみただけではな

    ただ努力を集めても形にならない――あなたが組み立てない限りは - シロクマの屑籠(汎適所属)
    NowThinking
    NowThinking 2011/01/08
    結論は「努力を拝むのも、努力にすがるのも、やめましょうよ。」らしい?
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