「はやて」から車窓を見つめる相澤さん 午前9時18分。臨時の「はやて」が、ゆっくりと上野駅から滑り出した。冬晴れの都内は気温12度。 新青森駅まで約670キロ、3時間半余り。青森市の南隣の黒石市出身で、今は東京都江戸川区に住む相澤俊三さん(76)は、県人会の仲間とともに1両目の窓側に座った。 57年前の春。青森発の夜行列車に約17時間揺られ、降り立ったのも上野駅だった。働き手不足の解消を目的に、若者を都会に送り出す「集団就職列車」の運行が始まる1年前のことだった。 6人きょうだいの5番目。父は3歳の時に戦死していた。地元の駅まで見送りに来た母は、リュック一つで上京する息子に真新しい下着を持たせ、「一人前になるまで帰ってくるな」と送り出した。 工業高校では建築を学び、建設会社の鹿島に入った。 津軽なまりが抜けず、電話に出ても「別の人に代わってほしい」と言われた。寮で同室だった新潟