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ventyと役人に関するOohのブックマーク (4)

  • アザデガン物語 必死だったな石油公団: 極東ブログ

    まことに大きな利権集団が、閉花期を迎えようとしていた。 エッフェル塔が完成しパリ万国博覧会が開催された1889年(明治22年)4月9日、後に「アラビア太郎」と異名を取ることになる山下太郎が生まれた。場所は秋田県、今の横手市である。 地元の祖母の元で育てられ、10歳を過ぎてから東京の実母の家に送られ、青年期に北海道に渡り、札幌農学校(現北海道大学)に学ぶ。卒業後、各種のビジネスに手を染め、失敗を重ねながらも満州でビジネスを拡大した。第二次世界大戦後は石油資源の確保に尽力し、1957年、ペルシャ湾海底採掘権をサウジアラビアおよびクウェートの両国から獲得した。40年間の契約だった。これを契機に1958年、アラビア石油を創立した。 アラビア石油は、1960年から採油を開始した。石油が日の高度成長を支える姿にアラビア太郎は満足しつつ、1967年、波乱の一生を終えた。同年、アラビヤン焼きそばが発売さ

    Ooh
    Ooh 2010/10/04
    坂の上の雲?そろそろ続きが放送するんだったかな。
  • 日経社説 規制では解決しない派遣労働の問題 - finalventの日記

    報告書が指摘するように違反を厳しく取り締まり悪質な派遣業者を排除することや、危険度が高い業務への未経験者の派遣禁止などは検討すべきだ。派遣元が取る手数料の割合を公開し競争を促す必要もある。 だが、日雇い派遣の原則禁止は学生や主婦などこうした働き方を選択している人が不便になり、仕事を失う恐れがある。1日ごとの契約だけでなく30日以内はすべてダメとなると経済に与える影響も大きい。 ただし、やむなく日雇いで生計を立てざるを得なくなった一部の人については自助努力に加えて、安定雇用に誘導するための支援も必要だ。国や地方自治体などによる教育訓練制度の拡充でスキルを身につけさせ、正社員への雇用を促していく息の長い努力が大切だ。 タクシー問題と同じでやってみたらくらいかな。やったら何が起きるかわかるよ。たぶん、ひどいことになると思うけど。 派遣も多様な働き方の一つと認めたうえで、不安定、低賃金など1700

    日経社説 規制では解決しない派遣労働の問題 - finalventの日記
    Ooh
    Ooh 2008/08/04
    “公務員からワークシェアリング”“公務員をできるだけ地域のNPOに解体”
  • 2007-09-30

    日経春秋 春秋(9/30) 咲けば必ず実を結ぶというナスにひっかけ「親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない」などと言う。名人二代。志ん生親子の話は世襲も悪くないなと思わせてくれるが、一方、宰相二代の福田さん。あした国会で所信を表明する息子の脳裏を、亡き父のどんな意見がよぎるのだろう。 「天の声も変な声」 産経社説 【主張】新聞・ネット融合 発想豊かに使いこなそう 素直にいうと苦笑。新聞社と報道社は同じものとは限らないし、産経なんかも共同流している。 あからさまに言うと、外信については、日報道社不要っていうか邪魔。そのまま翻訳したのをもとに発信主体が取捨すればいい。問題は国内なんだけど、地方についてはコンソシアムみたいのを作ればいいだろう。業界については法的にごりごりとオープンに圧力をかけていけばいい。 というと、報道面での最大の暗部というのは、結局政界と警察ということになる。この情報

    2007-09-30
    Ooh
    Ooh 2007/09/30
    なんだかすごいややこしいな。とりあえず空気読むなんてことしなければ。いいのか?
  • 女王陛下、英国大使の野上義二でございます: 極東ブログ

    9月11日の閣議決定で、折田正樹英国大使の勇退の後、前事務次官の野上義二が駐英公使となった。野上義二? 思い出すこと二年前、NGO排除問題で世間を騒がせてくれた、あのヒゲだ。「ヒゲをそったらどうだ」と当時経済産業相の平沼赳夫が苦言を呈した、あのヒゲの男である。ここに一人のヒゲの男が再び立ちがあった。 当時を思い出そう。2002年1月東京開催のアフガニスタン復興支援会議の際、外務省が一部の非政府組織(NGO)の出席を直前になって拒否した。真相は鈴木宗男が外務省に一部NGO排除を働き掛けていたことだった。外務省の最高責任者田中真紀子元外相は国会答弁できちんと真相を明言した。が、だ、にも関わらず、野上義二事務次官(当時)はこれをまっこうから否定した。どっちが当だ?ということで国会は紛糾した(「国会バトル 田中氏/鈴木氏 参考人質疑、真っ向対立」・参照)。 なさけない話だった。というのも、次官と

    Ooh
    Ooh 2007/06/06
    “そういえば彼が外務次官のときイランの外務次官に「イスラエルとパレスチナの紛争からイランは手を引いてほしい」という驚くべき話をしていたのを思い出す。”
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