タグ

伊集院光に関するOpus40のブックマーク (6)

  • 伊集院光「芥川賞・田中慎弥の会見に見るマスコミの気持ち悪さ」

    2012年01月23日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、芥川賞受賞者・田中慎弥の会見について語っていた。 伊集院光「芥川賞の田中さんのニュースが、スゴイ嫌なの。それは田中さんの方がイヤなんじゃなくて。田中さんの物言いには賛否両論あるみたいですけど、キャラクターとしては、あんな感じで良いんじゃないですかね。でも、あれを特集する時の感じが凄いイヤで」 「まず、小っちゃくイヤなのは、石原都知事が、良純パパが(笑)『芥川賞の選考委員をやってるけど、どの作品も基準に達してない、つまんないな』って言ったことに対して、そのイヤミに対してちょっと皮肉で『気の小さい都知事も困るでしょうから、もらってやったよ』みたいなのを言うじゃない。このキャッチボールは意外に出来てて、それに対して石原都知事は『まぁ、作家なんてのはそのくらいが良いんだよね』みたいに返してて。でも、この真ん中で『都知事!あのメガネの田中っ

    伊集院光「芥川賞・田中慎弥の会見に見るマスコミの気持ち悪さ」
  • その時、芸人たちは何を語ったか。 - てれびのスキマ

    震災以後、テレビは各局地震情報などの報道特番が流れる中、いち早く芸人たちの声を届けけたメディアはやはりラジオでした。 芸人でなくても、こんな時にマイクの前に立つということは、大きな覚悟と勇気が必要です。 自分たちの一言一言が思わぬ人を傷つけてしまう可能性もあることを誰よりも自覚せざるを負えない立場にいます。 そして「不謹慎」という強大な見えない敵と戦わなければなりません。 ラジオに出演した芸人たちは、言葉をひとつひとつ丁寧に言葉を選びつつも、確かに笑いを届けてくれました。それは「不謹慎」という同調圧力に決して屈しない大きな笑いの力でした。それに僕らは確かに救われたのです。だから、彼らが何を語り、どう振舞ったのかを記憶にとどめておくために記録に残しておきたいと思います。 サンドウィッチマン 震災当時、気仙沼で被災したサンドウィッチマンは今回の震災後、芸人の中において大きな役割を果すことに。

    その時、芸人たちは何を語ったか。 - てれびのスキマ
  • 「のはなし」/伊集院光 - 空中キャンプ

    伊集院光のエッセイ80をまとめた新刊。いやー、これはおもしろい。声だして笑ったなー。職のモノ書きでも、ここまで笑える文章を書ける人はなかなかいないのではないだろうか。太田光もラジオで絶賛していましたが、たしかにこれはいい。渋谷パルコではさっそく平積みで売っていて、わたしはパルコでこのを買ったけど、あのおしゃれな空間は伊集院というキャラクターにまったくそぐわなくて実によかった。気がつくと、なんだかあっという間に読了してしまった。 このエッセイは、携帯電話会社がメールマガジンとして配信していた素材をまとめている。「週三回の配信、一度につき400字以上」というのが、連載の条件だったという。考えてみると、これはかなりしんどい。伊集院は、この連載を750回ほど続け、その中の80をよりすぐって一冊のにした。すごいよね、週三回のペースで750回続けるというのは(月に13回と仮定して、58ヶ月=

  • 伊集院光 「ファミ通よ、大作ゲームのレビューは止めたら?」

    2009年07月27日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、ファミ通のレビューについて語られていた。話の発端は、7月11日に発売されたドラゴンクエストIX 星空の守り人を、若手芸人3人とプレイしたときのことだった。 「モンハン(モンスターハンター)を、ファミレスでやっている高校生とかをみかけると、少し青春のニオイを感じる。でも、ドリンクバーだけで何時間も粘られたりすると、それはお店も迷惑な話で、最近はそうしたゲームでの長居を禁止するところもある。かといって、俺の家で顔をつきあわせてゲームをやるのも何だな、と思った」 「それで、電車で旅行しながら、若手芸人3人とドラクエ9をやればいいんじゃないか、と思った」と伊集院は話した。 だが、いざ4人同時プレイをやると「その若手芸人3人と俺で、一緒に4人で同時プレイしたんだけど、ゲームの進行上、1人のゲームデータだけが進む。ほかの3人のデータは、レベル

    伊集院光 「ファミ通よ、大作ゲームのレビューは止めたら?」
    Opus40
    Opus40 2009/07/29
    「10点満点の8点のゲームって、普通に面白いのに、ドラクエなどを10点以外でつけると、『ツマんなくなった』とか、思われてしまう。でも、一回、冷静に考えてみてよ。8点のゲームって、面白いですからね」
  • 伊集院光 深夜の馬鹿力 トーク集

    落語家時代に、元兄弟子の放送作家である石田章洋(三遊亭花楽京)に誘われ、三遊亭楽太郎師匠に隠れてニッポン放送のオーディション番組『激突!あごはずしショー』に出演。栄えある3人の中から、伊集院さんは選ばれた。 その後、『オールナイトニッポン』(水曜2部 1988年5月 - 1990年3月、金曜2部 1990年4月 - 1990年10月)に出演し、ラジオパーソナリティ「伊集院光」は誕生した。だが、なんだかんだのイザコザがあってニッポン放送での番組を止めるハメになった。 その後、1995年10月10日午前1時から「伊集院光 深夜の馬鹿力」が開始された。最初は伊集院の出待ちをし、後に同番組の構成作家を務める渡辺雅史、番組当初はディレクターだった池田卓生プロデューサーらとともに、番組を続けている。 放送月

    伊集院光 深夜の馬鹿力 トーク集
  • 伊集院光 「益若つばさにみる、モデル特急のズルさ」

    2009年05月04日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、"モデル特急"について語られていた。"モデル特急"とは、「元モデルという肩書きを使って、いきなり芸能界である程度の位置に着くこと」のようだ。 伊集院は、「益若つばさってなんなの?最近、急に(テレビで)見かけるようになったけど。『実は、もう結婚しているんです』とか、どうでも良いよ。『実は…』も何も、お前の昔(モデル時代)なんか知らないよ。入ってくるなよ」と、まず語り出した。 さらに、「最近、モデルだけでなく、女性文化の中から、テレビ業界にグッと入ってくる人が、多くなってないか?」と、"モデル特急"のようなパスを持ち、芸能界にいきなり入ってくる人たちについて、以下のように語っていた。 「何なの?って思うんだよ。それ、横入りだからって。ちゃんと順番を守れ。『券買ってんの?オメーよ』って感じ」と、モデル特急のようなものでテレビに出ている

    伊集院光 「益若つばさにみる、モデル特急のズルさ」
  • 1