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ポチェッティーノ監督(左)との求めるサッカー観の違い、それが中村が活躍できなかった一番の理由だ【Getty Images】 2月27日、バルセロナ国際空港――。 エール・フランスのチェックインカウンターで搭乗手続きを済ませた中村俊輔が、ゆっくりと出発ゲートへと歩いていく。前夜まであわたただしく自宅の荷物を整理した。大きなスーツケースが3つ。スペインで生活した7カ月間の荷物は、予想以上にかさばった。ゲートへと歩きながら、「8年間のヨーロッパでのプレーを終えての帰国だけど」と聞くと、彼は「また新しい挑戦がはじまるという感じ」と言って、軽く握手をすると、出発ゲートの中へと消えていった。 しばらくの間、中村の移籍についてあれこれ大々的に報道していた地元メディアもこの日は空港に駆けつけず、特に大きな喧騒(けんそう)もない。それは想像していたよりもずっと静かな出発だった。 横浜F・マリノスへの移
遠藤(中央)は韓国戦でPKを決め先制点を挙げた。しかし逆転負けを許し、試合後は厳しい表情で反省を口にした【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】 「言われたことをその通りにやるっていう日本人の悪い癖が出ている。もっと遊び心を持ってやらないと創造性が出てこない。試合中にポジションを変えるのもそう。実際にやっているのは自分たちなんだから、リズムが取れなければ監督に関係なく修正しないと」 遠藤保仁は東アジア選手権が開幕してからずっとこう言い続けてきた。岡田武史監督のコンセプトに縛られがちな日本代表を何とか変え、プラスの方向へ持っていきたい。中村俊輔不在のチームにあって、攻撃陣のカギを握る彼は、最終戦の韓国戦を大きな転機にしたいと考えていたはずだ……。 出だしは悪くなかった。ユース時代からお互いを知り尽くしている稲本潤一がアンカーの位置に下がり、遠藤が前へ行く縦関係のボランチは機能している
「DFのクリアボールがナカに渡り、その瞬間、彼が僕を見てくれた。彼のパスなしではこの得点は生まれなかったよ」 中村俊輔からのアシストパスを受けて先制点を決めたエスパニョルのルイス・ガルシアは試合後、得点シーンをこう振り返った。 新スタジアムのコルネジャ・エルプラットのこけら落としとして2日に行われたリバプールとの親善試合で、エスパニョルは3−0と快勝。特に前半はエスパニョルがデ・ラ・ペーニャ、中村のキープ力を生かしてボール支配率を高め、内容面でリバプールを圧倒した。左サイドハーフとして先発した中村は、前半のみの出場とはいえ、良いパフォーマンスでホームのファンに好印象を与えた。 試合後、中村のアシストとパフォーマンスについて聞かれたエスパニョルのポチェッティーノ監督は、「いつも言っているようにナカムラは素晴らしい選手だ。素晴らしいアシストをした。ただ、彼1人を褒めるのではなく、選手全員
24日に行われたセリエA第37節ミラン対ローマ戦は、ミランの偉大な主将パオロ・マルディーニにとって、ホームであるサン・シーロ・スタジアムでの現役最後の試合となった。この日、マルディーニのために集まった大勢のミラニスタ(ミラノのファン)たちは、同選手のこれまでの功績とクラブへの貢献に対し、最大級の賛辞と感謝を示した。 ミランの選手がスタジアムに入場した際、約8万もの白いチームマフラーがミラニスタたちの手によって掲げられた。そのすべてのマフラーに、彼らのアイドルであるマルディー二の名前、背番号、そして彼が勝ち取ってきたすべてのタイトルがプリントされていた。さらに何百という横断幕も掲げられ、多くのミラニスタは同選手のユニホームに身を包んでいた。横断幕の1つにあった“マルディーニのクローンを!”という言葉は、ミラ二スタにとって同選手が唯一無二の存在であることを物語っていた。 試合はミランがロー
1月2日、スペイン2部のジローナが柏レイソルユースに所属していた17歳のFW指宿洋史の獲得を発表した。契約は3年半。18歳に満たない選手の海外移籍は原則禁止されているため2月27日の誕生日までは試合に出場できないが、指宿は正式契約後すぐにチーム練習に合流し、スペインでプロ生活をスタートさせている。 「ガラっと環境が変わりました」と本人が話すように、ジローナ移籍以降はピッチ内外すべてのことに“初”が付いた。しかし、劇的な環境の変化の中で舞い上がることも、自分の立ち位置を見失うこともなく、指宿は先にあるデビュー戦やスペインでの成功のために日々練習やスペイン語の習得に励んでいる。そんな彼に入団から約1カ月が経った1月末、話を聞いた。 ――1月上旬のジローナ移籍から約1カ月が経ちました。この1カ月を簡単に振り返ってください やっぱり、最初は厳しかったですね。慣れなくて体調を崩しかけたこともあり
セリエAのクラブに在籍する唯一の日本人選手、森本貴幸はカターニアに入団して3シーズン目を迎えている。 3シーズン目といっても、入団時の年齢が18歳5カ月とセリエAに参戦した日本人選手の中で最も若く、さらにベテランと中堅でチームを構成しているクラブが圧倒的に多く、ヨーロッパの他国リーグに比べて若手選手の居場所が少ないセリエAでは、年齢的にはまだまだ“ひよっこ”のような存在だ。 しかし、その“ひよっこ”が12月21日に行われたセリエA第17節のローマ戦で2ゴールを挙げ、カターニアの勝利に貢献した。この活躍がイタリアのマスコミにも大きく取り上げられたことはまだ記憶に新しい。そして2月8日、第23節のユベントス戦でもスタメン出場し、後半6分に今季3点目となる同点ゴールを記録。試合は惜しくも終了間際に決勝ゴールを奪われ敗戦を喫したが(2−1でユベントスが勝利)、森本はセリエAというハイレベルな舞
【ロンドン9日共同】サッカーのイングランド・プレミアリーグのチェルシーが9日、ブラジル人のスコラリ監督を解任したと発表した。クラブは「シーズンの大事な時期に、結果とパフォーマンスが悪化している」と理由を述べた。当面はウィルキンス・コーチが指揮を執る。 同監督は昨年6月にチェルシーの監督に就任。7日のハル戦を無得点で引き分け、現在は首位と勝ち点差7の4位となっている。 [ 共同通信社 2009年2月10日 1:39 ] 前後の記事 - [サッカー] スコラリ監督を解任 チェルシーが発表 - 2月10日 1:42 「相手の高さは気にしていない」内田篤人=サッカー日本代表 - 2月9日 22:17 アダムス監督を解任=欧州サッカー・ポーツマス - 2月9日 21:37 「攻め急ぎが一番やってはいけないこと」遠藤保仁=サッカー日本代表 - 2月9日 21:13 体の切れに問題なし 合流の長谷部、
2006年2月18日以来の再戦となる、フィンランド代表。3年前、静岡のエコパ・スタジアムで行われた試合は、ジーコ監督(当時)率いる日本代表が2−0で勝利している。だが、個人的には試合を決定づけた小笠原満男の豪快なミドルシュートと、浜松で食した「ひつまぶし」の絶妙な食感だけが、今も心地よい記憶として残っている。逆に、このときのフィンランドの印象というものは、どうにも思い出せない。 今回の来日メンバー21名についても、3年前と同様、あまりぱっとしない。フィンランドの国民的英雄、ヤリ・リトマネンの雄姿が見られるのはうれしい限りだが(この人の来日は、1995年にアヤックスの一員としてトヨタカップに出場して以来、実に14年ぶりである)、あとはまったくなじみのない名前ばかり。キャップ数でいえば、リトマネンの118は別格として、クイバストが73、あとはひとケタとゼロばかり、という陣容である。チームを率
第87回全国高校サッカー選手権を制したのは、堅い守備と機を見た鋭い攻撃を展開し、組織力では今大会で一番光っていた広島皆実(広島)だった。その広島皆実を率いたのは就任2年目の35歳の青年監督・藤井潔。優勝という結果を手にした後、藤井監督の周囲はあわただしくなったが、変わったのは周囲だけで、本人は以前と同じように自然体だった。周囲の喧騒(けんそう)をよそに、普段と変わらない姿勢でいる藤井監督の本心に迫ってみた。 ■広島皆実の歴代の指導者は攻撃サッカーを志向していた ―――優勝おめでとうございます。今の率直な感想を教えてください ありがとうございます。優勝できて反響の大きさに驚いているのと、その中身がいいサッカーをやっていたと評価してもらっていることについては、正直うれしいですね。今の3年生と時間をかけて作ったもので、(前監督の)鯉迫(勝也)先生の色がすごく出ていたチームですし、過去の指導者を
サッカーの言葉から仕事や人生を考えるビジネスパーソン向けコラム KDDI AUやソフトバンクモバイルの公式携帯サイト「伝説動画」で連載中 2008年11月06日 大分トリニータ溝畑社長 チームそのものが体の一部 選手が結果が出せなかったら、それは選手のせいではなくて、フロントのせいだと、そういうことははっきりしています。チームそのものが自分の体の一部になっているんです 大分トリニータ 溝畑社長の言葉 サッカー批評39 2008年7月10日発行 数日前ののどかな昼休みに、ナビスコカップの決勝がもうすぐなんだ、という話になった。 Jリーグに興味のない友人は「へえそうですか」という顔をしている。「いや、ナビスコの決勝戦は、ここ数年すごく面白いんだから」と僕は念を押すように伝える。 「今年の決勝は、どこ対どこなんですか?」と話を合わせてくれた心優しい友人は聞いてくる。大分と清水だよ、
フランスリーグの名門サンテティエンヌと3年契約を交わし、ステップアップした松井大輔【Photo:杉本哲大/アフロスポーツ】 「楽しいこともつらいこともあったけど、4年間は長いようで短かった。このピッチに立てたことをうれしく思います」 最後のホームゲームを終えた松井大輔は、ル・マンで過ごした日々をこう振り返った。 松井はシーズン中、ル・マンがトップ3〜5位につけていた時期であっても、「ル・マンが欧州カップに行っても残らないと思う。新しいスタートを切る時期が来たと思うから」と言っていた。わりと早めに移籍先を決めていた様子の彼が、シーズン終了までかたくなに移籍の話をしなかったのは、「シーズンが終わるまで、ル・マンと上位を目指すことだけを考えたい」という本人の言葉通り、彼なりのポリシーからだったのだろう。 この夏、デメロ、ロマリックら7人の主力を失ったル・マンの一時代は終わり、今、サンテティ
スタジアムに情熱が溢れるアルゼンチンサッカー界。だが、その周囲は暴力の闇に覆われている【 Photo:AFLO 】 ここ10日ほどの間に、アルゼンチンのフットボール界では少なくとも2人の死者が出た。1人は、ベレス・サルスフィエルドのファンだった21歳の青年。もう1人は、彼ほどはメディアなどで報じられていないが、アルゼンチン北部のあるスタジアムの近くに住む少女だった。そして、また別の青年は西部で暴力ざたに巻き込まれ、いまだ重体で病院にいる。 フットボール好きの大部分のアルゼンチン人にとって、こうした出来事は決して珍しくはないが、耐え難いものである。むしろあまりに頻発するために、こうした暴力に“慣れて”しまっていると言えるかもしれない。“バラス・ブラーバス”と呼ばれる一部の凶暴なサポーターによる事件も一向になくなる気配がない。 そして3月15日、ついに起こるべくして、ここ数年で最大の喪失と
重慶にやってきて、この日で6日目。練習、男子の試合、女子の試合というローテーションで、淡々と過ごす日々が続いている。ちょうど日本を経つ前、例の「ギョーザ事件」が大問題になっていたので、いささか重い気分で中国行きの飛行機に乗ったのだが、当地での食事は決して悪くはない。それでもチンゲン菜にはしを伸ばすときには、ふと残留農薬のことが脳裏をよぎる。だが、いちいち気にしていたら何も食べられやしない。とりあえず大会期間中は、残留農薬も含めて中国を堪能しようと覚悟を決めることにした。 「経済発展著しい中国」というニュースの枕詞(まくらことば)は、ここ重慶でも十分に通用するだろう。中心街のショーウインドウに飾られているブランド物の皮のコートやバッグは、円に換算すれば日本の高級ブティックで売られている価格とほどんど変わらない。スタジアムに向かうモノレール(日本の技術提供により最近開通した)に乗れば、ほとんど
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