ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (5)

  • アニメも観ずに『孤独のグルメ』を観るばかりの午後8時 - シロクマの屑籠

    ここ最近は特に無為に過ごす時間が異様に少なくなっていて、実際的なことだけをやっているので、ツイートすることがますます無くなってくる。— 5mm / 5Agape (@pycl) 2020年6月24日 「無為に過ごす」のはもったいない、でも豊かな時間だと思う。自分自身のバリューを高めるだとか、経験を広げるだとか、そういう上昇志向だけで生きていける人は稀だ。誰もが上昇志向でなければならない世の中だからこそ、上昇志向から魂を解き放ち、のんびり過ごすことに贅沢さを感じる。もっと無為に過ごせないものか。 私は「無為に過ごす」を忘れてしまった。しいて言えばこの文章を書いているこの瞬間が「無為に過ごす」に近いかもしれない。が、この文章にも"そろそろブログを更新しとかなきゃ"といった、無為とは言い切れない欲が混入している。 無為で自由な境地で文章に書くことがわからなくなってずいぶん経つ。アニメを観る、ゲー

    アニメも観ずに『孤独のグルメ』を観るばかりの午後8時 - シロクマの屑籠
    PHILOSOPHIA_SOCIETY
    PHILOSOPHIA_SOCIETY 2020/06/26
    一人でグルメすることの世界は、とても良いことに思います。
  • 親が教師のかわりに教えることと、親子のソーシャルディスタンス - シロクマの屑籠

    今が人生でいちばんハッピーなんじゃ。|こゆるぎさん|note リンク先のnoteには、在宅勤務になって子どもと過ごす時間が増え、コミュニケーションがたくさんできるようになった喜びが記されている。こうした在宅勤務がなくなって元の勤務体制が戻ってくるのか、それとも在宅勤務が一般化していくのかは、わからない。でも、学校はもうじき再開されるだろうから、こんな風に親子が一緒に過ごす時間は稀になっていくのかもしれない。 私は在宅勤務ではないので、子どもと一緒に過ごす時間が圧倒的に増えたわけではなかった。それでも、学校や習い事が休みになり、外出や出張も減ったおかげで子どもと過ごす時間はだいぶ増えたと思う。 学校や習い事や出張が減って再認識したのだけど、現代の(核)家族は、普段、一緒に住んでいても時間や空間をあまり共有していないんだなと気づいた。寝泊りするのは同じ家でも、別々の時間割、別々のスケジュールに

    親が教師のかわりに教えることと、親子のソーシャルディスタンス - シロクマの屑籠
    PHILOSOPHIA_SOCIETY
    PHILOSOPHIA_SOCIETY 2020/05/26
    親に言われたことを社会で言われると、少しわかるようになったなと思う気もします。
  • 現代人の超自我と、逃れられない「こころ」の問題 - シロクマの屑籠

    最近は見かけることも少なくなったが、かつては神経症とかノイローゼとかいった「こころ」の病名をよく見かけた。 これらはフロイト以来の精神分析にかかわる「こころ」の病名で、おおざっぱにいえば「こころ」の内面の葛藤やこじれに関するものだった。1990年代に目立った境界性パーソナリティや自己愛パーソナリティなども、「こころ」の成熟を問題としていたから、「こころ」の病名の一部とクローズアップされたとみていい。 しかし現在は違う。 精神医療の診断の多くは、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM)に基づいて行われるようになり、その診断基準には、神経症やノイローゼといった病名は存在しない。現代の精神医療は、患者さんの「こころ」に関して病名をつけるのでなく、第三者にも観察可能な振る舞いを診断基準としている。「こころ」に深入りしなくなったからといって、精神医療が衰退したわけではない。むしろ逆で、「こころ」にこだ

    現代人の超自我と、逃れられない「こころ」の問題 - シロクマの屑籠
    PHILOSOPHIA_SOCIETY
    PHILOSOPHIA_SOCIETY 2020/05/18
    人間社会において、自然を含めた共存は、生きるうえでの価値として、心で受けとめるべきであると思います。
  • 「こわいのは、コロナより世間」 - シロクマの屑籠

    私の交際範囲のなかでは、こんな言葉が流行っている。 「こわいのは、コロナより世間」 高齢者や基礎疾患を持っている人にとって、COVID-19は命にかかわる疾患だ。とはいえ私の年齢、私の子どもの年齢なら、これが命取りになる可能性はそこまで高くない。この病気よりも恐ろしい病気なんていくらでもある、という気持ちを持っている。 それより、感染したときの社会的・世間的インパクトのほうが恐ろしい。 私自身が感染したらどうなるか、想像してみる。 職場は大変な混乱に見舞われるだろう。一人のCOVID-19感染者が出たら、私の部署、私の職場はだいたい機能不全に陥る。だいたい機能不全になった職場の噂は、あちこちに伝わっていく。「あの会社でコロナが出た」「あそこの支店が閉鎖された」といったかたちで街じゅうが知ることになる。ひとつの職場の機能不全は、ほかの職場にも機能不全を波及させていく。だから、うまく言えないの

    「こわいのは、コロナより世間」 - シロクマの屑籠
    PHILOSOPHIA_SOCIETY
    PHILOSOPHIA_SOCIETY 2020/05/04
    そんな世のなかの冷たい目に関して気にしないでいましたが、よけて通りたくもなりました。
  • 自分が目的語の恋愛観と、パートナーが目的語の恋愛観 - シロクマの屑籠

    そういえば、恋愛相談のたぐいで「自分に合わせてくれそうな相手」「自分を受け入れてくれそうな相手」を探しましょう的な文面を見かけるたびに、何かおかしいというか、違和感を覚えていたけれど、やっと言語化できそうなのでメモっておく。 「自分に合わせてくれそうな相手」や「自分を受け入れてくれそうな相手」を探す発想は、探すという点では能動的だ。でも、いざ付き合い始める段になった時に能動的にならなきゃいけないのは、相手のほうであって自分ではない――そこのところは受動的だ。少なくとも「自分に合いそうな相手を探す」意識ばかりが先行している人には、「自分がパートナーに合わせる」「自分がパートナーを受け入れる」意識は乏しいだろう。 でも、パートナーだって人間なんだから、一癖二癖あるのが人間の常。 相手に合わせて貰ったり受け入れて貰ったりするのも大切だけど、自分がパートナーに合わせること・受け入れることだって同じ

    自分が目的語の恋愛観と、パートナーが目的語の恋愛観 - シロクマの屑籠
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