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サブカルに関するParis713のブックマーク (6)

  • 優越感ゲームと成熟ゲーム

    http://www.barks.jp/news/?id=1000052497 見守るしかないけど、まさかこないだのフジが最後のライブ…なんてことに…。 サブカルチャーの世界において、しばしば行われるのが優越感ゲームだ。 「他人よりも優れたアーティストを知っている」 「他人が知らないこんなマニアックなアーティストを知ってる」 アーティストの優劣や知識量で競われるゲーム。それが優越感ゲームだ。 優越感ゲームは自らのアーカイブの量・質によって競われるものなので、必然的にその勝敗は、趣味に対しての時間・金の投下量に比例したものになる。 かくして我々は、まだ知らない欧米の音響派や、中南米の文学、イスラム圏のアニメ、未開のジャパニーズインディシーンへの足を踏み入れる事になる。 ・・・はずだった。はずだったんだよ! ところが、優越感ゲームによって他者との差別化を図るというサブカルのシステム自体がすでに

    優越感ゲームと成熟ゲーム
    Paris713
    Paris713 2012/09/01
    かなり前の記事
  • YouTube - 電気グルーヴ - ガリガリ君

    瀧さんが、雑誌企画で赤城乳業のガリガリ君 製造工場を見学し、そのあまりの壮大な光景(天井から数え切れない程の数のガリガリ君がぶら下がっていた)に感銘を受け、勝手に無許可でタイトルもそのまま「ガリガリ君」という楽曲を作った事がある。それが縁で、一時期ガリガリ君のキャンペーンで同タイトルのCDが賞品の1つとなった事もあった。

  • ARTIFACT clipper

  • 引用に終始するサブカル好きが日本の文化を滅ぼす

    文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。そのためにこれを書く。 まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。 しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。 神聖かまってちゃん http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html このバンドのことを知ったのは漫画「モテキ」。 「モテキ」は毎回作者の久保ミツロウさんのセンス&チョイスで その回のテーマに近い楽曲名がそのままタイトルになっている。 例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。 オレにはその絶妙なセンスがツボで 「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか 「ついに岡村ち

    引用に終始するサブカル好きが日本の文化を滅ぼす
    Paris713
    Paris713 2010/07/29
    映画の話題とかだとついこういう「解る人には解る」というネタで盛り上がってしまう。自重すべき?
  • 文化と差別、そして「おたくと新人類」 - ARTIFACT@はてブロ

    死に舞 - センス競争は悪か? http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060304/p2 基的にあらゆる文化の価値観は人を馬鹿にすることでなりたっていると自分は思ってる。 死に舞さんの記事を読んで、そういえば去年死に舞さんの記事に触れようと書きかけの文章があったのを思い出したのでサルベージ。 死に舞 - 鰻ナウ! 中二病、高ニ病へのレクイエム1 http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20050419#p1 まあなんにしろ全体にいえるのは、文化を感性的な側面以外で評価する、つまり文脈的な差異などを強調して評価する態度を「病」と括ることで脱臼させているのだ。そしてそこにあるのは結局、素朴で「無難な」、「(漫画でもアニメでもハリウッドでも洋楽でもJ−POPもアニソンでもフランス映画でも文学でもライトノベルでも、その形式的な差異はともかく)内容

    文化と差別、そして「おたくと新人類」 - ARTIFACT@はてブロ
  • 「東京大学「80年代地下文化論」講義」をテンプレとして「おたく」を語ったときに見えてくるもの - 世界のはて

    「東京大学「80年代地下文化論」講義」の読み方 「テンプレ」とは、ある決まった「語り口」で、別の「テーマ」「価値観」を語るという手法。 たとえば昔僕がやった「はぁちゅうコピペ脱オタバージョン」は、元になった「はあちゅう主義 - 小娘が何か言ってます」という記事の「語り口」で「脱オタ」というテーマを語ったモノだと言える。 ここで宮沢章夫が「東京大学「80年代地下文化論」講義」で使っている「語り口」をそのままに、中心テーマを「ピテカン」から「おたく」に移してみると、どういったものが見えてくるか。この手法により、「ピテカン的なもの」と「おたく的なもの」の同じ部分と違う部分がハッキリするだろう。 上記手法から見えてきたもの 同じなのは、「共通の価値観を媒介とした閉鎖性」。 違うのは、「差異化ゲーム」への優越・劣等意識。 「ピテカン」は、勝手に自分達は「上」だと規定して、「おたく」に対して優越感を感

    「東京大学「80年代地下文化論」講義」をテンプレとして「おたく」を語ったときに見えてくるもの - 世界のはて
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