著者は私と同じ生まれの1967年生まれだが、本書の自由論は私の心の琴線にふれることはほとんどなかった。『明日のジョー』に尾崎豊、『エヴァンゲリオン』と同時代を生きてきた世代の自由論なのだが、なんか私の希求してきた自由とまったく重なり合わないのでほとんど読み飛ばしたようなものだ。 私の自由とは「労働、企業からの自由」に尽きる。これらから解放されることが自由である。長時間労働や滅私奉公、終身雇用の隷属人生から解き放たれることこそ、私の自由である。だからそういう労働からの自由をいっさいあつかわない本書には失望したのである。オザキを同時代に聴いた私としてはオザキからそういうメッセージを受けとったつもりである。だからあまりほかの自由を語られてもぴんとこないのである。これは極私的であるかもしれないが。 しかし本書のなかでがぜん興味を魅かれた章が最終章の「21世紀の自由論」である。現代の上・中流世代はも