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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (48)

  • 不惑を迎える頃になっても「自由」に執着することについて - シロクマの屑籠

    「女は自由でいい?」 裏に潜む覚悟なき人々の羨望:日経ビジネスオンライン リンク先は、アラフォー女性の自由についての記事だ。男女のジェンダーによる違い・組織と個人・周囲の目線といった諸点に触れていて興味深い。 しかしそれ以上に、そもそも40歳にもなって「自由」に執着するということ・アラフォー向けの「自由に関する記事」なるものが流通していることのほうが私には興味深く感じられる。40歳にもなって、まだ「自由」とかそういうことを言っているのか。四十といえば不惑とも言う。自由がどうこう言う歳というより、既に引き受けたもの・“しがらみ”・立場といったものを意識する年頃ではないのか。さらに言えば、自分自身の自由を追いかけるより、若い世代の思春期モラトリアムを応援したり、子ども世代の自由のための礎となったりすることを意識しはじめる年頃なのではないか。 むろん、リンク先を読めば分かるように、ここでいう「自

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    Paris713
    Paris713 2013/01/07
    それでも敢て言う。自由っていいよ!自由手に入れるための代償大きかったかもしれないし、だからこその執着と言われればそれまでだけど後悔はないから
  • 孤独感がデフォルトになった時代 - シロクマの屑籠

    第三者からみて孤独そうに見える人が必ず精神的に打たれ弱いかと言うと、そうでもありません。少数ながら、孤独に対する耐性が異様に高い人が存在しますし、第三者からは目に見えにくい繋がりをどこかに持っている人も珍しくありませんから。しかし、人自身が孤独に悩んでいるような人――つまり孤独感に苛まれている人―――は、必ずといってよいほど精神的に打たれ弱いように見受けられます。 独りぼっちは辛いんですよ。 「自分は独りではない」と感じている人が新しいことに挑戦するのと、孤独感に苛まれている人が新しいことに挑戦するのでは、体感されるストレスが何倍も違ってくるのではないでしょうか。世の人間の大半は、どうやら孤独には弱いようにみえます。「自分は独りぼっちではない」という感覚無しには生きていけないというか。[誰かが自分のことを見てくれている感覚][誰かが自分と一緒にいてくれる感覚]を持っている時なら簡単に我慢

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    Paris713
    Paris713 2012/12/20
  • 正論、説教について――『ロスジェネ心理学』を書きながら考えていたこと - シロクマの屑籠

    http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/11/170141 ブログって何を書いても構わないんですが、新規に何かを書き出すのって、意外と難しく感じます。私の場合、特定の誰かの記事に言及したり手紙を書いたりするほうがスッと言葉が出てきます。気づかなかったことに気づいたり、言えなかったことを言語化できたり。 ブログの醍醐味って、やっぱり「他人と言葉を交わすなかで自分の考えていることが変わっていく」にあると私は思うんですよ。一人で考えるだけなら、自宅のチラシの裏でも、Evernoteでもいいんです。でも、ブログとブログが言葉を連鎖させるうちに、自分の思念が形を変えて、ときに他人の思念すら変えていくとしたら、そこには可能性が眠っていると思うし、少なくとも私は刺激を受けているつもりです*1。 そんなわけで、『シロクマの屑籠』の記事のなかに

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    Paris713 2012/12/14
  • 『ロスジェネ心理学――生きづらいこの時代をひも解く』を出版します - シロクマの屑籠

    シロクマは“私達の世代”を軸にしたを出すことになりました。 ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く 作者: 熊代亨出版社/メーカー: 花伝社発売日: 2012/10メディア: 単行購入: 6人 クリック: 197回この商品を含むブログ (25件) を見る 定価:1575円 ページ数:253頁 判型:46判並製、単行ソフトカバー ※表表紙はこんな感じ ちょっと俗っぽいタイトルかもしれませんが、実際、1970年代〜80年代前半に育った世代――つまりロストジェネレーション世代に――フォーカスをあてたになっています。ただし、ちょっと昔の“ロスジェネ論壇”のような、世代内での内輪受けと自己憐憫に溺れるようなを出したところで意味が無いので、「ロスジェネ世代のメンタリティについて、上の世代や下の世代にも分かるよう解説してみる」「ロスジェネ世代の生育環境を振り返りながら、現代社会の精神病

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    Paris713 2012/10/20
  • 素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい - シロクマの屑籠

    ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった - Togetterまとめ 上記のまとめを読んでいると、なんとなく、「うんうん、その通りだね。プロの社会的価値を下落させる何者かを、“あるべき顧客の姿”に戻さないといけないね」と頷きたくなる。しかし少し真面目に考えてみれば、他業種・他分野では到底通用しない考え方だと気づかざるを得ない。 他業種・他分野では、“プロの社会的価値を下落させ、顧客を喪失させる何か”の実例はいくらでもある。 例えばマイカーの普及は、馬車の御者や人力車といったプロの仕事を奪い、後にはローカル鉄道や路線バスの採算性をも破綻させた。人々が欲しかったのは、馬車でも人力車でもなく「素早く目的地に到達すること」だった。だから「素早く目的地に到達すること」がマイカーで達成されるようになれば、馬車や人力車やローカル鉄道にお金を払いたいとは誰も思わな

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    Paris713 2012/09/12
  • “無縁社会”?それとも“無縁個人”? - シロクマの屑籠

    お昼過ぎの時間帯に国道沿いのコンビニに行くと、近所のおばあちゃん達によく出遭う。知っている人がいれば挨拶し、レジで女性店員と世間話をすることもある彼女達の振る舞いを見ていると、昔ながらのコミュニケーションの様式が染み付いているなぁと思う。女性店員側も、お年寄り達の扱いに慣れているのか、巻き込まれているのか、マニュアルにそう書いてあるのか、よほど忙しい時を除けば会話に付き合っている。 私の住んでいる地域*1では、これに類する光景をあちこちで見かける。生活空間のなかに片っ端から知り合いをつくり、“縁”を紡いでいくというか、持続的で、情緒的な、良くも悪くもウェットなコミュニケーションを志向するお年寄り達。今流行の“無縁社会”という言葉がウソのような気がしてくる。 “無縁社会”というけれど…。 メディア上では“無縁社会”という言葉をよく見かける。 不安の鉱脈を掘り当てた“無縁社会”という言葉が指し

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    Paris713 2011/02/22
  • 「おひとりさま」というトレンドの終わり - シロクマの屑籠

    夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術 作者: 花輪陽子出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン発売日: 2010/06/16メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 10人 クリック: 394回この商品を含むブログ (23件) を見る 上記のを読んでみて、ああ、「おひとりさま」の時代はもう終わるんだなと改めて感じた。少なくともトレンドではあり得ないんだろうな、と。 そもそも、人生を独りでやっていこうというスタイルが無理すぎる。たぶん、ファイナルファンタジー11のようなネットゲームをソロプレイでやるより厳しかろう。「おひとりさま」で生きていくということ=“家事も金銭も情緒もスタンドアロンにやっていく”って事なのだから。色々しんどかったり非効率的になったりするのは避けられない。 ごく最近まで、ホモ・サピエンスは独りで生きるのが著しく困難だった。狩猟採集社

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    Paris713 2011/01/05
  • 普通の人が尊敬できないように育てられた人達

    「普通の人が尊敬できないように育てられた人達」。 特別な職業やメディアに登場するスターのようなキャラクターしか尊敬の対象にできないような・普通の職業の人やクラスメートには軽蔑に近い印象をデフォルトで抱いているような、そういう境地の人達が、まだまだ世の中には存在する。 【メディアスターや凄い人しか尊敬できないような育て方をすると…】 「三つ子の魂百まで」と日の諺にあるけれども、これは「誰をどう尊敬するか」の分野でもかなり当てはまる。小さい頃、どんな相手をどんな具合に尊敬するように育てられたのかは、性分としてこびりつきやすく、後々まで尾を引きやすい。 例えば、小さい頃から花形職業・メディアスター・伝記になるような偉人ばかり尊敬するように教え込まれ、近所の人や普通の職業の人なら見下しても構わないという家族の目線のなかで育ってしまった人は、その価値観を内面化させてしまいやすい。「尊敬対象かくある

    普通の人が尊敬できないように育てられた人達
  • 「独りで歳をとっていかなきゃいけない」 - シロクマの屑籠

    六道輪廻の合間には 伴う人もなかりけり 一人生まれて一人死す 生死の道こそかなしけれ 一遍上人のことば この一遍上人のことばに間違いは無い。人は、生まれてくる時も独り、死んでいく時も独り。けれども、いやだからこそ、人は独りでは生きていけないし、誰かの傍にいたいと願い続ける。 独りで歳をとりたくない。 歳をとるという事・老いるという事を、常に肯定的に引き受けるのは難しい。老成、という言葉もあるし、早く一丁前になりたいという思いもあるかもしれないにせよ、歳をとれば容色は衰え、死に近づいていくという感覚と独りで常に向き合っていられるほどタフな精神の持ち主は珍しい。 「事実としては独りで死んでいくとしても、独りで死んでいくという実感に耐えられるようには出来ていない」というのが、おそらく人間の精神の実装なのだろうし、だからこそ死後の世界を人々は語り続け、弔いを続けてきたのだろう。また、死んでいくその

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    Paris713 2010/06/14
    独りで死んで行くのは当たり前だと思ってる。孤独死は覚悟してるし恐怖はないけど、迷惑を最小限にしたい。ビジネスに頼るしかないけど。
  • 二次元キャラに初恋した人は幻想を砕いてもらえるのか----『秒速5センチメートル』問題 - シロクマの屑籠

    秒速5センチメートル [Blu-ray] 出版社/メーカー: コミックス・ウェーブ・フィルム発売日: 2008/04/18メディア: Blu-ray購入: 11人 クリック: 679回この商品を含むブログ (162件) を見る 二次元の美少女キャラクターに初恋しちゃった人って、どうなっちゃうんだろう?結構難しくありませんか?というのが今回のエントリの主旨です。 初恋は、異性への思い込み・幻想から醒めるたいせつな機会 第二次性徴を迎えて間もなく、初恋って、あるじゃないですか。これが例えばクラスメートの女子とかが対象だったら、仮に恋仲になれたとしても、進学したら距離が離れていくだとか、喧嘩したり幻滅したりして…とにかく、夢から醒めていく機会が幾らでもあります。片思いで終わった場合も、好きだった女子に二年ぶりに会ったらケバい化粧をしていて幻想が一発で吹っ飛んだとか、いずれにしても、初恋特有の思い

    二次元キャラに初恋した人は幻想を砕いてもらえるのか----『秒速5センチメートル』問題 - シロクマの屑籠
    Paris713
    Paris713 2010/06/01
    アセクシャルからみれば、性愛者の方々は現実の恋愛や性愛への幻想を持ち続けているように見えてしまうのです。失恋しても「こんどこそ本当の恋」とかね。
  • あなた、身体から情報が漏れてますよ?――非言語メッセージは隠せない - シロクマの屑籠

    インターネットに慣れ過ぎている人のなかには、身振り・声音・表情 といった非言語メッセージに苦手意識を持っている人も多いように見受けられます。そのような人達のなかには、非言語メッセージにできるだけ頼らず、なるべく言語メッセージに頼ろうと願っている人もあるのではないでしょうか。 例えば、「わたしは非言語のメッセージは苦手だから、言語に頼ってコミュニケーションしよう。」といったような。 この処世術、一見すると上手くいきそうにみえるしれません。少なくとも、twitterやMixiのような空間では実際に成功しそうです。けれど、日常生活のなかで・学校や職場環境で、このような処世術を採ろうとすると、実際にはどうなるでしょうか? 非言語コミュニケーションが苦手≠非言語メッセージを表出しない よく、勘違いしている人がいると思うんです。 【非言語コミュニケーションが苦手=非言語メッセージを表出しない】 って。

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  • 現実よりも夢だけ見ていたい父親/母親、という戦慄 - シロクマの屑籠

    夢を見ることは、そんなに悪いことじゃない。 誰しも、夢や願望を一切含まない、生の現実だけを見ているわけじゃないだろうし、その夢や願望と現実との間に多少のギャップがあってもおかしくない。しかし、夢と現実とのギャップが極端に大きくなりすぎれば問題が起こってくる。それは、政治でもビジネスでも子育てでも同じだろう。 ところが最近、友人知人から「夢や願望と、現実とのギャップがメチャクチャな父兄に遭遇してビビる!」「夢の世界に生きているとしか思えない父兄に出会う!」という話を耳にする機会が増えてきた。耳にする機会が増えてきたのは、単に私の友人知人が子育てをはじめたせいだろうが、あちこちの話から察するに、そういった夢見る父兄とは結構な頻度で遭遇するらしい。PTAや地区の会合などの場で、最低一人、多い時には数人ぐらい、とてつもない夢を素で語ってしまって、しかもそのことに全く気付いていなさそうな父兄に遭遇す

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    Paris713 2010/05/03
  • 最新情報をガブ呑みしていないと夢が萎んでしまう人達 - シロクマの屑籠

    あちこちで、以下のように主張している人をほとんど定期的にみかける。 「地方には最新情報が何にもない」 「CDを買いに行っても何も無い」 「だから地方には夢がない」 よくよく噛みしめれば、面白い話である。これは、働く場所が無いがために“地方に夢がない”と言っている人達とは、話のニュアンスがかなり違う。こういう人達は“地方には夢が無い”と言いつつも、ほとんど無意識のうちに以下のように言っているようなものである。 「首都圏には最新情報があって」 「オシャレなCDを売っていて」 「だから首都圏には夢がある」 最新情報に囲まれてオシャレなCDを購入していなければ、夢って、みれないものなんだろうか?? 首都圏で、優越感や疾走感に包まれないと干からびちゃう人達 世の中には、東京に出て、最新の情報をガブ呑みして、オシャレな音楽にうっとりしなければ夢が急速に萎んでしまう人もいれば、人口5万人ぐらいの街のJA

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    Paris713 2010/04/27
  • 「努力を恐れる男達」。 - シロクマの屑籠

    気で努力する・時間や情熱を賭けて努力する、ということを怖がる男達がいる。 「努力をしない男達」というよりも「努力を恐れる男達」。 これが単なる怠惰であれば、まだしも救いがあるのかもしれない。情熱の対象がみつかれば、彼は怠惰の檻から這い出るだろう。しかし“努力が恐いから”怠惰を装うタイプの人の場合は、そもそも情熱の対象に憑りつかれてのめり込むこと自体を避けてしまうので、情熱を持つこと自体が困難だ。こういう男達は、さも冷静を装った、斜に構えたようなポーズをとることで、情熱と努力から逃げ回っている自分自身に気づかないように振る舞っている。オタク向けの表現をするなら、『涼宮ハルヒの憂』のキョンのような男性、と言えば分かって貰えるだろうか。 なぜ、彼らは努力を恐れるのか?その要因は多岐にわたるだろうが、一言に集約するなら、 努力して自分が満足するような成果が得られなければ、高いプライドが傷ついて

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    Paris713 2009/07/08
  • 『草食系男子』という名の万華鏡 - シロクマの屑籠

    2009年に入ってから、『草系男子』という単語を頻繁にみかけるようになった。注目度はうなぎのぼりで、遂に日経ビジネスオンラインや読売新聞といった大きなメディアにも登場するようになってきている。つまり、この『草系男子』という言葉には、人々の耳目を集めるような、タイムリーな何かが含まれているのだろう。 ところが、『草系男子』の定義が意外と定まっておらず、論者やメディアごとに、定義にばらつきがみられる。また、たとえ定義が同じ場合でも、ポジティブに捉える文脈で語られることもあれば、苦り切った語り口で紹介されることもある。 『草系男子』が語られる際の、三つのニュアンス では、具体的にどういったイメージや願望が『草系男子』というバズワード*1に託され、どういった文脈で語られているのか?私がみるに、少なくとも以下の三つのニュアンスで語られていることが多いようにみえる。 【1.“男らしく引っ張っ

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    Paris713 2009/04/30
  • 『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠

    21世紀が始まった頃、個性がやたらと礼賛された時期があった。 『ゆとり教育』。 『ナンバーワンよりオンリーワン』。 『自分らしさ』。 『世界にひとつだけの花』。 【個性的であること=かけがえのないこと】という夢いっぱいの観念を、老若男女を問わず、誰もが礼賛するような空気が、日じゅうに蔓延していた時期を、あなたも覚えている筈だ。 個性を礼賛した結果がこれだよ! その結果、何が起こったのか? 個性を礼賛し、個性を追求し、“自分らしさ”へと突き進んだ青少年の大半は、個性を賞賛されることもないまま、自分は個性的だという不良債権と化した自意識を胸に、平凡な日常をのたうち回っている。自分の個性が生かせない仕事はしたくない・働いたら負けだと思っている・自分の個性を大事にしてくれない社会が悪い・自分の才能を見抜けない上司が悪いetc…。そういう怨嗟をオーラのようにまといながら、心のどこかで“当の自分”

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    Paris713 2009/03/03
  • 目撃!中年サークルクラッシュ臨界状態!? - シロクマの屑籠

    昨日、嫁さんと一緒に洋屋に出かけた際に、なかなか貴重な光景に出くわしたので書き記しておく。 僕達が着席したテーブルの近くに、80年代を連想させる服装の男性四人・少しケバめのジャンパーを着た女性一人・やけに地味な服装と化粧がかえって存在感を出している女性一人の、合計六人が座っていた。男性側には、今時珍しいアキバ系ファッションと呼んで差し支えないような「Gジャン」「チェック柄のシャツ」も。ちょっと驚いたが、他のお客さんをジロジロ見るのも非礼と思い、そちらの方向はあまり見ないようにしようと嫁と打ち合わせた*1。 ところがこの六人組、やたらと声が大きく騒がしい。わざわざ顔を向けなくても会話が全部聞こえてくる。熱々のビーフシチューをいただいている最中も、キャッフキャッフという笑い声や、「それですよ!それ!それ!」という男の裏返った声が、隣のテーブル越しに聞こえてきた。こうなったら、いっそ熱心に聴い

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    Paris713 2009/01/23
  • “草食系男子モドキ”になった狼たち - シロクマの屑籠

    かつて、小室哲哉は『RUNNING TO HORIZON』のなかで、“眠れない午前二時 苛立ちがドアを叩く 走れない狼たち 闇に爪を立て さまよっている”と歌った。この曲は、中二病っぽい疾走感と、自分自身の未熟さへの自覚がミックスした、“一人前になる前の狼”の心情にジャストフィットのものだったと記憶している。 さて、『RUNNING TO HORIZON』が発売されて約二十年が経ち、小室哲哉も逮捕されてしまった2008年。あの頃、“一人前になる前の狼”だった男性諸氏は、その後、どうなったのか。 …ごらんの通りである。あのころ中学生〜高校生だった世代も、いまや中年。思春期という“牙を磨く季節”を終えて彼らが辿り着いた境地は、どうやら“一人前の狼”ではなかったらしい。例えば、渡部伸『中年童貞』によれば、今、20代後半〜30代前半の世代においては、男女交際が全く出来ない男性が増えているという。小

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    Paris713 2009/01/09
  • 過剰なネット承認欲求と、神経の磨耗について - シロクマの屑籠

    ネット上の人間はなぜ、pixivに絵をアップするのか?どうしてtwitterblogにあれこれ書くか?その動機のかなりの部分が、“他人からのまなざしに触れたい”“他人に認めて貰いたい”“認めて貰いたい”といった欲求に占められていることは、既に多くの人が気づいていることと思う。ポジショントークの必要なプロフェッショナルはともかく、アマチュアユーザーが何かに言及し、なにがしかのコンテンツを創りあげアップロードする駆動力の源は、いわゆる承認欲求による部分が大きい。 私は、承認欲求を抱いていること自体は人間として自然なことだと思うし、それがコンテンツのかたちで昇華されることも喜ばしいと思っているけれども、この手の承認欲求を追い求めすぎるあまり、神経をすり減らすような状況は好ましくないとも感じる。しかし、インターネットサービスの殆どは、この承認欲求の欲求を焚き付けたり、限界まで搾り取るには適してい

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    Paris713 2008/11/14
  • 日本人と「自分自身の内側の価値」について - シロクマの屑籠

    生まれそこなった新世代としてのオタク|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記 およそオタクに限った話ではなく、日人の大半は、「自分自信の内側の価値」なるものをあまり内在化させず、自信や価値やアイデンティティを外部にアウトソーシングしながら生きているような気がする。「自分が自分であることを確認できる何か」「自分に価値があると思えてくるような何か」を他者や物品やコミュニティに仮託することで、それで何とか自分自身の心の均衡を維持している。 なにも最近の日だけの話ではなく、かつて、[企業とモーレツ社員][地域共同体と村人]といった組み合わせのなかでも自然に行われてきたことと回想して、ほぼ差し支えないのだろう。日人は、近代的な西洋人(のステロタイプ)とは異なり、「自分自身の内側の価値」を凝集しなくとも、コミュニティや組織全体と半ば融合した形で、外側の価値を共有しながら生き

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    Paris713 2008/11/14