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今 月(2004/8)のミュージック・マガジンの特集で、陣野俊史氏が「セックスの不良とピストルの不良」という稿を書いているのだけれども、その中で氏は 『マッチョで野卑なヤンキー系「不良」のヒップホップ』よりも、THA BLUE HERBや降神のような『反社会的』であったり『脱社会的』であるヒップホップのほうが『数段手ごわい不良』だと結論付けている。 私は、この稿を読んで酷く憤慨した。なぜなら、氏は自身の言う『マッチョで野卑なヤンキー系「不良」のヒップホップ』に対する考察を、 『私の手には余る』という一言だけで割愛し、『反社会』や『脱社会』といった曖昧なキーワードと考察で、自分の好きなアーティストだけを持ち上げているだ けの文章に見えたからだ。私はこの稿に対して感じた疑問を中心に投げかけていく。 まず、彼はヒップホップのことをこう書いている。 『もともとラップは、攻撃対象を日
SEEDA周辺の適当な情報 「花と雨」から少し思いつめていたことを書かせて頂きます。 「STREETに少しのセンティメンタリズムを加えた」スタイルは自分のスタイルであり、それはHIPHOPにイコールできるものではありません。 しかし、最近自分の耳に入ってくる日本語ラップはほとんどそのようなものばかりです。 僕が今までリリックに綴った言葉や使った声質、フローは、SEEDAという人間のバランスであり、それは僕のスタイルです。 自分の曲を聴いてもらえることは嬉しいし、真似されることは光栄です。 ただ、自分のスタイルを見つける上で人を研究するのはいいと思いますが、自分のモノに完全に消化する前に披露されると聴くに堪えません。 Attitude(一個人の物事の捉え方)の真似し合いが始まっている。 SEEDAかBESか? またはSEEDAとBESの間をとったラップが今のシーンにはとても多く感じます。 そ
全曲OKだけど、なんといっても「サウス・ブロンクス」。 最近トータルがサンプリングした、10年前のクラッシクス。チェックしとけ。
古川耕氏を招き、日本語ラップで言われるところの「リアル」であったり、「ストリート」という言葉の意味と、日本語ラップのリリックの「進化」の過程を今までより少し掘り下げて考えてみました。 日本語ラップの「限界」とは?リスナーは何を求めているのか?ラッパーは何を表現するべきか?非常に長いですが、興味ある方は時間を割いて是非。 ---------------------------------- ●昔に言われていた「リアル」・「ストリート」というもの 微熱:95年くらいから「リアル」だったり、「ストリート」というような言葉は使われているんですよね。でも、今言われる「リアル」や「ストリート」という言葉の意味合いとは全く違う。当時、雷やキングギドラ、それこそRHYMESTERも言っていたと思うんだけど、彼らが言う「リアル」というのはJ-RAP(偽者)に対する「ハードコアラップ(本物)」のこと、「ストリ
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実はラップミュージックが苦手だ。ラップミュージックに付随している暴力性やファッションも苦手だ。日本語ラップはもっと苦手で、韻を踏んでても踏んでいなくても特徴的なダラダラーッとした感じや、(ラブソングの)演歌じみた歌詞世界も苦手だ。ところが、ここ数年で「これはラップだ」とアイデンティファイした物の中に、「これは好きだ」と思うものが少しずつ溜まってきた。 ところで、同輩はラップミュージックが好きらしい。私達は各々が好きな曲をBGMにかけることがあるのだが、彼女は私のかける音楽をあまり好まない。そこで、私が「これはラップで、私はこの曲が好きだ」と思ったものを彼女に色々聴いてもらって、私と彼女の妥協点を探ってみることにした。 その結果、反応が良かったのはAsian Dub Foundationの「Fortress Europe」*1。残りは微妙。可笑しかったのは、Beastie Boysの「Sab
日本のヒップホップ(にほんのヒップホップ)では、日本のヒップホップについて解説する。 「ヒップホップ」は、1970年代にアメリカニューヨークで、「DJ」「ラップ」「グラフィティ」「ブレイクダンス」の4要素が融合して生まれた文化であるが[1]、日本では「ラップ」が入った音楽を指すことが多い[1]。 いとうせいこうや小林克也は、早い段階でラップ/ヒップホップに取り組んでいた。スネークマンショーのメンバーだった小林克也は、あるスタッフにスクラッチとラップを聴かされ、パンクにやられたときと同じような衝撃を感じた[2][3]。それですぐ、これをやりたいなとブロンディの「ラプチュアー」のアナログ盤をいじって「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」を作り、1981年2月21日発売のアルバム『スネークマン・ショー』に収録した[2][3][4][5][6][7]。反復フレーズに乗って登場する2人のキ
私の悪夢はこんなふうに始まる--娘が男を連れてきて、「パパ、私たち結婚するの」と言う。男はラッパーだ。口には金歯がずらりと並び、ドゥーラグというヒップホップファッション独特の布を頭に巻いている。 筋骨隆々の腕に、いかにも悪ぶった態度。やがて2人の間に子どもができて、小さな足でわが家の居間をパタパタと駆け回り、私の人生に入りこんでくる。とはいえ、私も若い時分は、その時代の新しい音楽にどっぷりつかった「思慮分別のない若者」だった。 だから私は、昔の自分自身を見るような「そいつ」に出会った日を呪い、その名を知ったことを悔やむ。「そいつ」、つまりラップが世界を制したことに戦慄を覚えるからだ。 メロディーもなければ繊細さなど微塵も感じられない。楽器も使わないし、詩もハーモニーもない。いつ曲が始まって、いつ終わるのかも分からなければ、どんな曲なのかも分からない。音楽とすら思えない音楽--それがラップだ
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