『日本書紀』には、百済滅亡、白村江敗戦という歴史的事件を、その時代に生き、それを見聞きした人たちが書いた、その記録が載っている。その代表的なものが『伊吉連博德書』と高麗の僧・釈道顕が書いた『日本世記』である。 『伊吉連博德書』については、かつて古田武彦氏も言及しておられるが、この大事件のあった同時代史料を私自身で一度整理しておきたいという願望は以前からあった。そこで今回は『伊吉連博德書』について考えてみることにした。 伊吉連博德書 (孝德天皇白雉五年〔654〕)二月、遣大唐押使大錦上高向史玄理【或本云、夏五月、遣大唐押使大花下高向玄理。】(中略)田邊史鳥等、分乘二船。留連數月。取新羅道、泊于萊州。遂到于京、奉覲天子。於是、東宮監門郭丈擧、悉問日本國之地理及國初之神名。皆隨問而答。押使高向玄理、卒於大唐。【伊吉博得言、學問僧惠妙、於唐死。知聰、於海死。智國、於海死。智宗、以庚寅年〔690年〕