2007年5月26日のブックマーク (11件)

  • 少年法「改正」 (内田樹の研究室)

    少年犯罪が凶悪化したので「厳罰化」する、という少年法改正案が衆院を通過した。 この一文はすでにいくつかの問題を含んでいる。 少年犯罪が「凶悪化」したということをメディアは自明のように語るけれど、「凶悪化」とは何のことかについて十分な吟味がなされているように思われないからである。 少年犯罪件数自体について言えば、日は世界でも例外的に「少年犯罪が少ない」国である。 ヨーロッパ諸国が「日の奇跡」と呼び、「どうしてこんなに少年犯罪が少ないのか」を調べに調査団が来るほど、少ない。 少年犯罪統計データを見れば一目瞭然である。 少年(10-19歳)の10万人当たりの殺人事件の検挙人数比率を見ると、1936年が1.05,1940年が0.93、1950年が2.14、1960年がピークで2,15。それから年々低下して、1980年に0.28、90年に0.38,2004年で0.48である。 2004年はもっと

  • 銃規制と憲法修正 (内田樹の研究室)

    アメリカのヴァージニア工科大学で、一人の学生が銃を乱射して、32名を射殺したあと自殺するという衝撃的な事件が起きた。 二人の高校生が級友、教師13名を射殺したコロンバイン高校事件に続く惨劇である。 市民が無差別に銃撃される事件が起こるたびに、銃規制についての議論がアメリカ国内で再燃する。 しかし、何も変わらない。 依然としてアメリカ国内には2億2千万丁の銃があり(それはほぼ全国民に一丁ずつということである)、銃による死者は毎年約3万人に達する。 イラク戦争開戦以来の米軍兵士死者が3年間で3000人だから、単年度当たり戦地の30倍のアメリカ人が「銃後」の非戦闘地帯で撃ち殺されていることになる。 1981年以後のアメリカで銃による死者は60万人。 これは鳥取県の人口に等しい。 アメリカ人は一県分の人間を20年かけて銃で消滅させたのである。 にもかかわらず、アメリカでは銃規制が進まない。 それは

  • これは便利なカレンダー - 内田樹の研究室

    IT秘書のイワモトくんに勧められてスケジュール管理にGoogleカレンダーを使っている。 これはたいへん便利なものである。 ネット上に自分のスケジュールが置いてあるので、出先のパソコンからでもポケットの中のiPodからでも自分のスケジュールがチェックできる。 月単位のスケジュール表を使っているので、一ヶ月分の約束と締め切りが「一望俯瞰」できるのもありがたい。 私にとっていちばんありがたいのは、スケジュール情報にテキストを貼り込めることである。 仕事の依頼はたいていメールで来る。そのメールをそのままスケジュール表に貼り込む。字数、締め切り、テーマ、担当者からのコメント、連絡先のメールアドレス、電話番号から編集者とのあれこれのやりとりまで、どんどんスケジュールに貼り込んでしまう。 これまでだと、「あれ? どこかの雑誌の締め切りが明日あたりあったような気がするが・・・」ということに真夜中にふと寝

  • びっくり三題 - 内田樹の研究室

    驚くことが三つあった。 一つめ。 選挙運動が始まったので、窓の下を連呼の声が通る。 うるさいなあと思いながら仕事をしていたら、突然「県会議員候補かどのぶおの娘でございます」という声が聞こえてきた。 いま県会議員をされている門信雄さんは私がるんちゃんといっしょに芦屋の山手町の山手山荘という古いマンションに住んでいたときのお隣さんである(その頃門さんは芦屋市議だった)。 その娘はれいこちゃんといって、るんちゃんと同い年で、ふたりはよく行き来して遊んでいた。 れいこちゃんはその頃は七つか八つか、それくらいのちびちゃんだったが、その子がもうお父さんの選挙運動の手伝いをして「父をよろしくお願いします」とマイクを握って沿道に手を振るようなお年頃になったのである。 転た、感慨に堪えぬのであります(@佐分利信 in『彼岸花』)。 るんちゃんにメールを送ると、すぐに「そうか〜。れいこちゃんも政治活動している

    Pyotr1840
    Pyotr1840 2007/05/26
     相互扶助的な中間共同体の再建
  • 恋愛と結婚のおはなし - 内田樹の研究室

    久しぶりのオフ。 三宅先生のところに行くと、待合室に甲南合気会の井上さんがいた。 診療室ではゑびす屋谷口さんが治療中で、「ウノ先生がいま帰りました」ということであった。 なんだ身内ばかりだなとつぶやいていたら、ゼミのタムラくんがお母さんといっしょに待合室に入ってきた。 身体症状というのは重篤な個人情報であるはずで、そのせいで病院では患者の名前さえ呼ばないというのだが、ここでは三宅先生が大きな声で患部の状況についてご説明くださるので、誰がどのような身体的問題を抱えておられるのか全員周知のこととなってしまう。 しかし、そのようにして他者の身体に起きている苦痛やこわばりや歪みに同期し、それがいまここで行われている治療によって緩解してゆく「体感」をリアルタイムで追体験すること、他の患者の治療に立ち会うということそのものがすでに治療行為となっているという点が三軸修正法のすぐれた特徴なのである。 私の

  • シンガポールの悩み (内田樹の研究室)

    朝からの会議は英語セッション。 英語を話すのが苦手である。 英語を話すと、善良で頭悪そうな人間になるか、狭隘で攻撃的な人間になるか、どちらかだからである。 ふだん日語を話しているときの、「表面的にはディセントだが、言葉の奥に邪気がある」というダブルミーニングの術が使えない。 「隔掻痒」とはこのことである。 論じられている問題については、公的にも私的にもぜひ申し上げねばならぬような知見があるわけでもないので、2時間半黙って坐っている。 午後から講談社FRAUの取材。 若い女性が三人でやってくる。 お題は「ダイエット」なのであるが、ひろく身体一般について語る。 今度は1時間半ほどノンストップでしゃべりまくる。 聴き手が若い女性のときは学生相手に無駄話をしているときのようなカジュアルな気分になってしまうので、話はあちらへ飛び、こちらへ逸れ、話頭は転々として奇を究め、約しがたいこと常の如しなの

  • 昭和は遠くなりにけり - 内田樹の研究室

    鹿児島に来ている。 鹿屋体育大学武道学科から「武道研究会」の講師としてお招き頂いたのである。 鹿屋は「カノヤ」と読む(ことを私も鹿児島空港バス乗り場で発見したのだが)。 武道学科の学生諸君(剣道、柔道専攻)40人ほどと先生方をお相手に、武道論を講じる。 甲野先生であれば、「とりあえずこちらに来て、組み付いてください」とか「この剣で打ち込んでみてください」という実演が展開できて学生諸君の度肝を抜くことができるのであるが、私はご存知のとおり「口先合気道」なので、体重100キロの巨漢学生にのしかかられたりすると全身脱臼して末永く三宅先生のお世話にならねばならぬ。 そのようなリスキーな展開に持ち込むことはできない。 しかし、学生諸君のうちに「こいつ口だけで、ほんとはめちゃ弱いんじゃないの?」というような疑惑が一瞬たりとも浮かんでは、私の立場というものがない。 哲学的武道論に耳を貸す暇もなく、すみや

    Pyotr1840
    Pyotr1840 2007/05/26
     勝たない武道論
  • 掃除と憲法 (内田樹の研究室)

    いろいろなところからいろいろなテーマで取材が来る。 既視感のある表現であるが、私の人生はもはやほとんど既視感だけで出来上がっている状態であるので、仕方がない。 午前中は「掃除について」、PHPの取材。 ブログに「煤払いをした」とか書いたせいで、掃除について一家言ある人間だと思われたらしい。 年末になったら「煤払い」くらいふつうするでしょ。 しないのかね、知識人諸君は。 掃除について論じるウチダ氏の部屋は掃除が行き届いていないので、ぐちゃぐちゃである。 そんな部屋をばしばし写真を撮られてしまい、天下に言行不一致をさらすことになってしまった。 ええ口惜しい。 だったら、はじめからそんな取材受けなければよいではないかと思われるだろうが、私の立場になっていただければ、わかる。 取材の依頼を断るというのはたいへん面倒なことなのである。 取材のオッケーは簡単である。 「あ、いいすよ」 これで終わりであ

  • 「赤旗」発武蔵小山経由イタリア行き - 内田樹の研究室

    いろいろなところから、いろいろな主題について取材が来る。 月曜日は「赤旗」の取材。 お題は改憲について。 『九条どうでしょう』に書いたとおり、九条と自衛隊の「不整合」は戦後日社会システムのすべての「汚れ」を投じる「クラインの壺」なのであるから、これは断固死守せねばならないという持論を語る。 九条二項を廃絶してしまった後に日人は「日は戦後一貫してアメリカの軍事的属国であり、いかなる固有の世界戦略を持つことも許されていない」というリアルでクールな事実に直面しなければならないのだが、どう考えても現代日人にはその事実を受け止める「心の準備」ができていない。 「九条と自衛隊の不整合のうちに戦後日のすべての不幸の原因はある」という「症状」のうちに私たちは 60 年間安住してきたわけであるが、その症状を奪い去られたあとに、私たちはそれに代わってどのような「狂気」を患えばよろしいのか。 いちばん

  • 「クールなメディア」にちょっとつけたし - 内田樹の研究室

    平川くんのブログを読んだら、堀江貴文元ライブドア社長の裁判についてコメントがしてあった。 「クール」だ。 ぼくたちがマスメディアでけっして読むことができないのは、この種のクールでラディカルな分析である。 http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/ どうしてこのような「まっとうな」分析がメディアには掲載されないのだろう。 おおくのメディアはたぶん「うちの読者にはむずかしすぎる」という理由で掲載を見合わせているのだろう。 だが、メディアは「できるだけ読者に知的負荷をかけない情報」だけを選択的に提供し続けていることについてもうすこし病識を持った方がいいと思う。 日人全体が知的に劣化してゆくことでたしかに短期間的にメディアは利益を得ることができる(仕事が楽だからね)。 けれども、それは短い期間だけだ。 読者のリテラシーをひたすら下方修正することを競い合ってい

  • さよならギャングたち - 内田樹の研究室

    久しぶりに芦屋で合気道のお稽古をする。 たくさん来ていて70畳の道場が狭いほどである。 毎年この時期は「返し技」のお稽古をすることにしている。 四月になると新入生が入ってくるので、基からチェック。 年度末の今頃は少し込み入ったことをやる。 実際にやるとわかるけれど、「少し込み入ったこと」の方が実践的にはずっと簡単なのである。 どなたでもおわかりになるであろうが、単純な動きというのは意外に扱いにくいのである。 無意味な動きはもっと扱いにくい。 初心者は自分が何をやっているのかよくわからないので、身体をがちがちに固めて、「ふつう人間はそんな動きはしない」というようなブキミな動きをする。 このような人に技をかけるのはたいへんむずかしい。 ある程度段階が進んでくると「理にかなった動き」をするようになる。 自分の可動域や自由度を確保しつつ、相手の死角に回り込むような動きがどういうものかわかってくる

    Pyotr1840
    Pyotr1840 2007/05/26
     「返し技」の身体論