(第1回/第5回) そもそも、『当世書生気質』が「清作」から「英世」への改名の原因になったことを知っている人間は、二人しかいないはずである。いうまでもなく、野口英世と小林栄である。 野口が改名当時、周囲に改名の事情をどのように説明したのかは気になるところなのだが、あいにく、そのあたりは奥村鶴吉の『野口英世』にも記されていない。 一方の小林は、『当世書生気質』が前途有望な医学生・野々口清作の堕落と破滅の物語だと本気で信じていた節がある。逍遥宛の手紙で「主人公たる野々口清作といふ医学生」などと書いていることからしてそうなのだが、東京歯科医学専門学校〔編・発行〕『野口英世 其生涯及業蹟』(1928年)には次のような記述がある。 其時分清作は既に改名して居た、其の由来として小林氏の語らるゝ処によれば、清作が順天堂勤務中小林氏の御母堂[原文のママ]が腎臓病に罹り病勢軽からぬ事を聞くや、帰省して前後三