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  • 『当世書生気質』と野口英世改名の謎(6・完)野口英世は野々口精作にならなかったか?: 日夜困惑日記@望夢楼

    (第1回/第5回) そもそも、『当世書生気質』が「清作」から「英世」への改名の原因になったことを知っている人間は、二人しかいないはずである。いうまでもなく、野口英世と小林栄である。 野口が改名当時、周囲に改名の事情をどのように説明したのかは気になるところなのだが、あいにく、そのあたりは奥村鶴吉の『野口英世』にも記されていない。 一方の小林は、『当世書生気質』が前途有望な医学生・野々口清作の堕落と破滅の物語だと気で信じていた節がある。逍遥宛の手紙で「主人公たる野々口清作といふ医学生」などと書いていることからしてそうなのだが、東京歯科医学専門学校〔編・発行〕『野口英世 其生涯及業蹟』(1928年)には次のような記述がある。 其時分清作は既に改名して居た、其の由来として小林氏の語らるゝ処によれば、清作が順天堂勤務中小林氏の御母堂[原文のママ]が腎臓病に罹り病勢軽からぬ事を聞くや、帰省して前後三

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    ROYGB 2017/01/22
  • 『当世書生気質』と野口英世改名の謎(5)野口英世の虚像と実像: 日夜困惑日記@望夢楼

    (第1回/第4回) 先述したように野口の上京は1896年9月のことだが、間もなく彼は悪癖を身につけてしまう。遊蕩癖と浪費癖、そして借金癖である。幼いころから貧乏であったにもかかわらず――というよりはむしろ、おそらくはそのせいで、彼には金銭感覚というものが全くといっていいほど身についていなかった。少しでも収入があると、すぐに友達事をおごったり遊里に行ったりして、あっという間に使い果たしてしまう。そして、そのたびに周囲にたかる、という行状を続けていたのである。貧農の家に育ったせいもあり、もともと幼いころから周りの友達にたかる癖があったのだが、都会にきて悪い遊びを覚えてしまい、その癖が悪化した。当然ながら悪評が立つのは避けられない。要するに、各種野口英世伝が記す「野々口精作」の行跡は、じつは、小説中の野々口精作よりも、実在の野口清作のほうによく似ていたのである。 ところが、生前から没後すぐの

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    ROYGB 2016/11/28
  • 『当世書生気質』と野口英世改名の謎(4)知らぬは逍遥ばかりなり?: 日夜困惑日記@望夢楼

    (第1回/第3回) 各種野口英世伝が伝える『当世書生気質』のあらすじと、実際の小説の内容が全く違っている、という事実をいち早く指摘したのは、じつは、他ならぬ坪内逍遥人である。 1930年(昭和5)、逍遥は『キング』10月号に「野口英世博士発奮物語」というエッセイを発表した。このエッセイは、のち、「ドクトル野口英世と『書生気質』」と改題の上、坪内『柿の蔕[へた]』中央公論社、1933年[http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/tomon/tomon_16417/]に再録されている(『逍遥選集』には未収録)。以下、『柿の蔕』による。 話のきっかけは、この年5月、逍遥が小林栄から次のような問い合わせの手紙を受け取ったことである。 […]明治三十年の頃順天堂病院に一医学生たりし当時の野口清作は御著書「書生気質」なるを読みて該書中に主人公たる野々口清

    ROYGB
    ROYGB 2016/11/27
    たぶん次回に書かれるのだろうけど、野口英世はアメリカに行くための資金で豪遊して使い果たしたなんて逸話もある。
  • 『当世書生気質』と野口英世改名の謎(1)野口清作と野々口精作: 日夜困惑日記@望夢楼

    野口英世(1876-1928)は出生時の戸籍名を「清作」といい、1898年(明治31)、数え年23歳のときに「英世」と改名した(正式に戸籍名を改めたのは翌1899年10月)。「英世」という名を考案し、戸籍名変更のために尽力したのは、清作の猪苗代高等小学校(現・猪苗代町立猪苗代小学校)時代の恩師、小林栄(1860-1940)である。 ついでながら、もちろん人は「ひでよ」のつもりでいたし、英語論文でも Hideyo Noguchi と署名していたのだが、生前、この名前は、日ではもっぱら音読みで「えいせい」と読まれていた。 この改名が、坪内逍遥(つぼうち・しょうよう)(1859-1935)の小説『当世書生気質』(とうせいしょせいかたぎ)(1885-86)の影響だ、という話はつとに知られている。この小説に、「野口清作」と酷似した「野々口精作」(「清」ではなく「精」であることに注意)という名前の

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    ROYGB 2016/11/24
    そういえばキュリー夫人の名前のマリーも改名というか元の名前からフランス風に変えたものだったというのを伝記で読んだような。
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