コペルニクスが、当時支配的だったプトレマイオスの天動説に反して地動説を主張したことは、宗教的迷信に対する科学の勝利と呼べるものではなかった。コペルニクスのモデルはプトレマイオスのモデルよりも正確でもなければ単純でもなかった。それにもかかわらず、コペルニクスが太陽中心の地動説を唱え、かつそれに魅了される天文学者が少なからずいたのは、当時太陽崇拝のネオプラトニズムが流行していたからであり、そしてそれは当時が近代小氷期と呼ばれる寒冷期であったことと関係がある。 1 : コペルニクスの地動説に科学的合理性はあったのか 地球上に存在する私たちが、地球は静止し、運動しているのは天体の方であるとみなすことは自然なことであり、古来、そうした地球中心の天動説が当然視されてきた。古代ギリシャの時代には、サモスのアリスタルコスなど、太陽中心の地動説を唱える者も少なからずいたが、彼らは異端として扱われ、ヨーロッパ