明治維新で官軍の敵対勢力を取り締まった番所が新政府による神仏分離令の徹底を図り、旧牧野村(相模原市緑区)で観音像を廃棄するなど廃仏毀釈(きしゃく)を進めていたことが、緑区原宿の郷土史家、村田公男さん(69)の調査で分かった。国内で急激に進んだ廃仏毀釈の実行役が特定され、村人の抵抗もあった事例が浮き彫りになった。村人は、丸坊主頭の地蔵菩薩(ぼさつ)立像に髪やひげをつけて神像に変装させていた。【高橋和夫】 県史編さんで多くの古文書が収集され、村田さんは埋もれた史料から代々、牧野村の名主を務めた神原家などの古文書に注目。神仏分離の動きを記した1868年の史料を精査し、神原家の当主や古老からの聞き取り調査もした。