少年時代からサッカーでは攻撃的なポジションを務めていた。本人によれば元はパスを得意とする選手だったが、たまたま試合でチャレンジしたドリブル突破がはまったことで足技を磨き、ドリブラーとしての才能を開花させる。また2005年のJFAプリンスリーグU-18東海では得点王になるなどの活躍を見せる。 2007年よりジュビロ磐田に入団。磐田では左右両アウトサイドを学び(ただし起用はもっぱら右)、守備面でも貢献できるようになったことから、2008年になるとポジション争いに割って入り、日本代表の駒野友一と怪我の太田吉彰が不在の間にトップチームでデビューを果たす。シーズン途中にハンス・オフトが監督に就任すると重用されトップ下に定着。ベガルタ仙台と対戦したJ1・J2入れ替え戦では2試合で3得点[1][2]、チームの全得点を挙げる活躍を見せ、チームのJ1残留に大きく貢献した。