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2012年1月22日のブックマーク (8件)

  • サイボウズ株式会社

    自治体のデジタル化・DX推進にはサイボウズ!サイボウズには自治体のデジタル化・DXを支える製品・支援プログラムがあります。

    サイボウズ株式会社
  • 共約不可能性 - Yahoo!百科事典

  • らばQ:偶然から生まれた10の大発明

    偶然から生まれた10の大発明 現代に至るまでに、人類は必要に応じて、ありとあらゆる種類の発明をしてきました。 もちろん、良いものや便利なものを創ろうと取り組んだ結果生まれたものが多いですが、後世に残る大発明や大発見の中には、偶然に「あら、出来ちゃった」というものあります。 偶発的とは言え、現代の私たちの生活に浸透した「偶然に出来ちゃった10品」をご紹介しましょう。 1. ペニシリン 世界初の抗生物質であるペニシリン。 生物学者のフレミングは、ブドウ球菌と呼ばれるバクテリアを研究していました。1928年、彼が休暇から帰ってくると、うっかり忘れたバクテリアの乗った試験皿の一つに菌が繁殖していることに気づきました。すかさず彼はその皿ごと捨てたわけですが、そこにあったブドウ球菌が繁殖した菌によって成長できないことに気づいたのです。 その発見に彼はたいした期待をしておらず、翌年そのことを発表したとき

    らばQ:偶然から生まれた10の大発明
  • 数学ネタ。 - 数学・科学・雑学ネタ集

    ケータイアクセスβ版→ 論文分野別一覧 第1回 里見八犬伝の玉梓の移動能力は時速何km/hか 2006年1月5日作成 2007年8月5日再計算 第2回 のび太は天才?ドラえもんは馬鹿? 2006年11月11日作成 2007年8月4日追記 2008年2月2日修正 第3回 ジャイアンは音痴なのか? 2007年2月27日作成 2007年3月24日更新 2007年5月12日更新 2007年7月17日リンク追加 2007年12月28日追記 「証明の意味分からない!」という方は解説編、FAQをご覧ください。 第4回 マリオの「制限時間」の単位は?(分、秒、60進法系時間単位以外の時間単位) 2007年4月27日作成 2007年5月19日更新 2008年1月3日更新 (100進法時計はこちら) 第5回 0の0乗は何になる? 2007年6月28日作成 2008年1月8日編集 2008年2月9日編集 第6回

  • 死後の世界を突きとめた量子力学

    仏教と最先端科学 仏教と最先端科学・量子力学との共通点   [TOP] それはともかく、量子力学と仏教の共通点の多いことには改めて驚く。 まず量子力学でいう、一個の素粒子が宇宙の隅々に時間も超越して非局所的に広がっているという事実を、どう仏教は説いているのだろう? 仏教では、宇宙(時間と空間)のいたるところに無数の仏が存在するとしている。宇宙は仏で充満しており、自己の内にも、宇宙空間のあらゆる場所に仏は連座していると説いている。このように宇宙の質そのものを仏とするのが仏教の基的な考え方で、その頂点に位置するのが大日如来である。 これは、一個の素粒子が宇宙の隅々に非局所的に広がっているという量子力学の結論と非常に似通った考え方といえるだろう。 仏教徒の目標となる「悟り」の要点には、三法印(さんぽういん)というものがある。 一は「諸行無常」といわれるもので、時間・空間的にどん

    Rouka
    Rouka 2012/01/22
  • 量子論と仏教

    昨日ニュートン別冊「みるみるわかる量子論」を読んでいたのですが、その内容があまりに衝撃的だったので夜も眠れませんでした。量子論とは物質の極限までのミクロの世界を解明する物理学の分野です。電子や光子といった物質の最小単位の研究が進むにつれ、ミクロの世界はわたしたちの常識がまったく通用しない世界であることがわかってきました。だからといってわたしたちの世界と無関係ではありません。それどころか、この世界はすべて電子や光がもとになっているわけですから、量子論はわたしたちの存在基盤そのものに迫る分野であるといえます。 それとアミヤンとどう関係があるのかというと、その量子論から導き出された物質の存在論があまりに仏教の空の思想と通ずるものがあったからです。 あらゆるものは無常である あらゆるものは因縁(相互依存)で成り立っている この世界はすべて空である この世界はすべて仮の姿である この世界はも

    Rouka
    Rouka 2012/01/22
  • 仏教と量子力学 - Aquarian's Memorandum

    今さらという気もするのだが、現代科学技術の基理論である量子力学と、仏教の基的考え方に親和性があるという言説が一部で行われている。私はこのような主張をすることに疑問を感じてきた。まず、科学は科学、宗教あるいは宗教思想はそれ、それぞれの目的も方法も違う。無理にこじつけない方がいい、と思う。また仏教者が重視する量子論の意味合いと、科学技術の現場での量子理論の使い方、それは意味を棚上げして道具として使うということだが、その間に大きなずれがあることを指摘したい。 まず、仏教者が、どんなことを言っているか。一例を挙げると、玄侑宗久「現代語訳・般若心経」(筑摩新書、2006)では、しきりに量子力学の解釈が引用されている。一箇所を引いてみるとこうだ。 量子力学では物質の、ミクロの様態を、「粒子であり、また波である」とします。測定の仕方でどちらの結果も得られるというわけですが、端的に、それが「色」と「空

    仏教と量子力学 - Aquarian's Memorandum
  • この日記について - 雑種路線でいこう

    ぼちぼち再開しようか

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