CDは90年代に比べたら売れなくなった、音楽業界ヤバイ!って言われるけど、これ見たら90年代が異常だったという見方も出来ると思うんですわ。。 https://t.co/Tt6FJBXhIA
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現代を生きる私たちは、しばしば「お金に支配されている」と感じる。 お金は、本来なら人間の暮らしを豊かにするために発明されたはずだ。にもかかわらず、お金があるせいで格差が生まれ、人々が苦しめられていると感じてしまう。 さらには、お金を稼ぐことそのものを「悪」だと考える人も珍しくない。自分がお金を得るとき、誰かから富を収奪しているような錯覚に陥る。べらぼうに儲けている人間を目にしたら、こう思わずにはいられない。(あいつは絶対、裏で何か悪いことをしているはずだ──)と。 こうして、「お金」は絶対悪だと見なされるようになる。多くの宗教がお金を邪悪なものとして描くのは、喜捨を募って財源を得るためだけではない。お金に対する嫌悪感や憎悪は、私たち人間の自然な感情の1つなのだろう。 しかし「お金は悪だ」という発想は、完全な間違いだ。 すべてが錯覚に基づいた誤解に過ぎないし、お金が生まれる以前の世界で私たち
静けさを身にまとうものが好きだ。数年前、北欧の街々を訪れた際に「この場所は、街全体が静けさを着こなしている」と感じた。コンビニやレストランでは過剰なBGMやアナウンスが流れることは少なく、生活の音だけが空間に響く。落ち着くということは「自分の内面にある静けさを護ること」かもしれないと思った。追い立てられるように過ぎていく時間の中で、周囲の声や過剰に溢れる情報の中で、ふと、自分の内面の静けさを見失ってしまうことはある。しかし、すべてのひとの心の中には「そのひと自身の静けさ」があり、騒がしい頭意識の裏側には、常に、静寂で美しい世界が広がっているのだと思う。 いま、広島駅前にあるホテルにいる。 熊本を経由して福岡県にはいり、私に声をかけてくれた方と一緒に豊前市にある求菩提山に向かった。山の中腹部にはすでに大量の雪が降り積もり、もうこれ以上先には車で進むことはできないという所まで来て、車を降りた。
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