守氏は「烏宮(からすのみや)」とよびました。 その由来は、こんな伝説から。 烏宮の伝説 『老女は、紀州熊野に至り、三社の御分霊、御神体を捧げ、 馬に乗って帰途につきました。 御神体の遷御は日中を避け、夜だけの旅でした。 そのとき、熊野の神鳥である大きな鳥(ヤタガラス※1)が一羽、 老女を見守り、前を飛んで先導となりながら見送ってきました。 やがて、神鳥のその烏が死んだので、老女の屋根の東部に烏塚を造り、 丁重に埋葬し、お宮を建ててその霊を祀りました。 老女は熊野三神を高舘の地を卜して祀ることとなり、 藤原基衡が夫々三所に社殿を造営しました。』 時は1123年(保安4年)のことです。 春日入の熊野社 「春日入の熊野社」(岩沼市長岡字北原山28) 鳥羽天皇の病気祈願と、ヤタガラスの見送り伝承も残されています。 『1123年、鳥羽天皇が病気になり如何なる祈願、 薬の効果がなく病状が悪化した。 あ