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名取に関するSONOのブックマーク (3)

  • 【伝説】名取老女を導いたヤタガラス|名取老女とみちのくを旅する過去と未来

    守氏は「烏宮(からすのみや)」とよびました。 その由来は、こんな伝説から。 烏宮の伝説 『老女は、紀州熊野に至り、三社の御分霊、御神体を捧げ、 馬に乗って帰途につきました。 御神体の遷御は日中を避け、夜だけの旅でした。 そのとき、熊野の神鳥である大きな鳥(ヤタガラス※1)が一羽、 老女を見守り、前を飛んで先導となりながら見送ってきました。 やがて、神鳥のその烏が死んだので、老女の屋根の東部に烏塚を造り、 丁重に埋葬し、お宮を建ててその霊を祀りました。 老女は熊野三神を高舘の地を卜して祀ることとなり、 藤原基衡が夫々三所に社殿を造営しました。』 時は1123年(保安4年)のことです。 春日入の熊野社 「春日入の熊野社」(岩沼市長岡字北原山28) 鳥羽天皇の病気祈願と、ヤタガラスの見送り伝承も残されています。 『1123年、鳥羽天皇が病気になり如何なる祈願、 薬の効果がなく病状が悪化した。 あ

    【伝説】名取老女を導いたヤタガラス|名取老女とみちのくを旅する過去と未来
  • 『熊野神社(熊野新宮社)(宮城県名取市)(2017-09-06追記)』

    熊野神社(くまのじんじゃ) 熊野新宮社(くまの しんぐうしゃ) 宮城県名取市高舘熊野堂に鎮座。旧社格は県社。 御祭神として速玉男大神・伊邪那伎大神・事解男大神を祀る。 昔、名取の地には年老いた巫女がおりました。 その老巫女は若い頃から紀州熊野三社を篤く崇敬しており、 たびたび紀州熊野へ参拝していました。しかし、年老いたことから、 紀州への長旅に耐えるほどの体力がなくなってしまいました。 熊野宮社に関連する由緒によれば、保安4年(1123年)に 鳥羽天皇が病にかかられたときに、夢枕に熊野権現が現れ 『奥州名取に住んでいる老巫女を召して祈祷せよ』と告げました。 熊野権現のお告げの通り、名取に住む老巫女に 病気平癒の祈祷をさせたところ、鳥羽天皇の病はたちまち回復したそうです。 鳥羽天皇は病気回復の恩賞として何かを下賜しようとしたところ、 名取老女は、 『紀州熊野はあまりに遠いため、年老いた私に

    『熊野神社(熊野新宮社)(宮城県名取市)(2017-09-06追記)』
  • 名取老女による熊野三社遷宮|oichan

    名取老女は、保安4年(1123年)第74代鳥羽院のお許しを得て、紀伊熊野の御分霊を賜り、下余田から高舘へ遷宮する。 この頃は名取老女の名声は日列島に鳴り響いていたので、奥州においても鳥羽帝のお声がかりもあったためか、新たな覇者となった藤原氏が早々に動き、特に北の殿などから宿坊確保に向けた老女への積極的な申し入れがあった。 さて、遷宮の当初の場所であるが、宮社は小館(現ゆりが丘2丁目)、新宮社は沼の平(現みどり台3丁目)、那智社は高舘山である。 なお、十八宿坊図の左下の往生院は、写真の大門山の手前の田んぼにあったとされ、熊野信仰と名取老女の遺徳を偲び、老女の死後建立された。 <大門山遺跡>

    名取老女による熊野三社遷宮|oichan
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