名取老女は、保安4年(1123年)第74代鳥羽院のお許しを得て、紀伊熊野の御分霊を賜り、下余田から高舘へ遷宮する。 この頃は名取老女の名声は日本列島に鳴り響いていたので、奥州においても鳥羽帝のお声がかりもあったためか、新たな覇者となった藤原氏が早々に動き、特に北の殿などから宿坊確保に向けた老女への積極的な申し入れがあった。 さて、遷宮の当初の場所であるが、本宮社は小館(現ゆりが丘2丁目)、新宮社は沼の平(現みどり台3丁目)、那智社は高舘山である。 なお、十八宿坊図の左下の往生院は、写真の大門山の手前の田んぼにあったとされ、熊野信仰と名取老女の遺徳を偲び、老女の死後建立された。 <大門山遺跡>