昨夏、福岡県八女市の男性が西日本新聞八女筑後支局を訪ねて来た。男性の所有する車輪は「旧日本軍の幻の戦闘機『震電』のものではないか」と言う。太平洋戦争末期、戦局打開のため開発され、実用化前に敗戦を迎えた震電。果たして車輪は本物だろうか。それならば、なぜ八女に? 男性と一緒に謎を探った。 震電は1944年、米軍のB29を迎撃するため、福岡市の九州飛行機(現渡辺鉄工)で開発が始まった。45年8月初旬に試験飛行したが、直後に敗戦。試験機は連合国軍総司令部(GHQ)に接収された。 今回の車輪2本を所蔵するのは、八女市立花町の農業高橋和之さん(66)。史料集めが趣味という。車輪は20年ほど前、市内の農家に譲ってもらった。前の持ち主は詳しい経緯を知らず、車輪は納屋に放置されていた。高橋さんは「物資不足の終戦直後、軍の払い下げ品を荷車の車輪に使ったのでは」と推測する。 ◆ ◆ 高橋さんは昨年、震電の
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