ブックマーク / maukiti.hatenablog.com (2)

  • 「出来ない」ことと、「敢えてやらない」ことを混同している - maukitiの日記

    合理的な判断の上で、無知で無関心であろうとする、日の若者たち。 「日の若者は、なぜ暴動を起こさないのですか?」「平和」な日社会の落とし穴(寺田 悠馬) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) ということで炎上気味に盛り上がっていた「一万円払って九千円のお釣り貰うのつらいわー、俺が金持っているってバレてつらいわー」な人のありがたいお話。 日を見ると、少子高齢化、雇用不足、財政悪化など構造的な課題が深刻化するなか、創成期のEU同様、そこに住む人々の利害関係が一致しにくくなっている。前述の世代間の問題のみならず、男女間、地域間、産業間などに発生した溝は、今後深まるばかりだろう。 それにもかかわらず、社会の溝を埋めて共生を探るために欠かせない意見のぶつかり合いが、日ではなかなか表面化することはない。産業革新機構による巨額の支援策が、将来を担う世代の利を損ねることにならないか、広く議論され

    「出来ない」ことと、「敢えてやらない」ことを混同している - maukitiの日記
    SavingThrow
    SavingThrow 2013/08/22
    ”私たちは他人の違和感を考えた上でそれでも敢えて対話をしようとしないことを選択している。合理的に考えた上で、無知で無関心を振る舞った方が、メリットが大きいと考えている。こちらの方がずっと根が深い構造。
  • 神は労働に宿る - maukitiの日記

    人の無宗教から考えた適当なお話。 「無宗教」が世界の第3勢力、日では人口の半数占め=調査| 世界のこぼれ話| Reuters ということで日では人口の半分を占めるそうですよ。まぁこういうお話になるとしばしば「オレ流日人宗教論」が盛り上がってしまうわけですけども、それに便乗して以下適当なお話。あくまで個人的見解ということでひとつ。 無宗教という隙間を埋めた労働教 一般に宗教社会学・知識社会学では『宗教』の意義とされているのは「究極的な前提の次元における正当性の付与」であるとされています。それこそ現代でも偶に見かける「私たちはなぜ生きているのか?(そして死ぬのか?)」というようなあまりにも根的な問いに答えるとき、根的な意味や秩序を説明するとき、宗教というモノは正当性を与えてくれる指針となるからであります。 その視点からすると、私たち日人の大多数は無宗教でありながら、実は既に宗教

    神は労働に宿る - maukitiの日記
  • 1