2008年9月30日のブックマーク (2件)

  • 成田に育った

    いつも、どこかで飛行機を見ていた。いつも音が聞こえていた。 空港に近すぎもせず遠すぎもしない成田ニュータウンでは空港関係者のほうが多い。学校では親の職業というのがそれとなく広まっていて、あの子のお父さんはパイロットだから金もちなんだとか、何丁目は整備士が多いとかグラウンドサービスの人が多いとか管制官が多いとかそういう住み分けがされていて、それが当たり前だと思っていた。 反対派も無関係な人も空港関係者も同じように暮らしていて、同じところで買い物をして、その子供はその土地で育って友達になったり喧嘩をしたりした。それが日常だった。見上げればいつも飛行機が飛んでいた。それを気に留めることすらないほど当たり前のようにそれはそこに存在していた。 上京して、飛行機の音が聞こえないことに驚いた。空を見上げても何もないことに驚いた。時々飛行機の音がすると驚かれるほどすばやく反応した。それくらい慣れ親しんだ音

    成田に育った
    Sekihara
    Sekihara 2008/09/30
    基地の飛行機が減ったのではなく自分が東京に暮らしているのだと気づかされた
  • 成田の話

    http://d.hatena.ne.jp/Tez/20080928/p1 事前交渉どころか説明すら存在せず、補償内容まで未定の状態で計画が発表されたとしても、それに反対するのは「公共の精神」に欠ける振る舞いだと信じているなら、中山大臣の「公共」という言葉は、おそらく現代日のいかなる辞書にもその典拠を求めることができない概念である。 ここにはまったく同意なんだけど、最初こじれるのはともかく、説明や補償の問題なら、そんなにいつまでもこじれてる必要はないでしょ。苦労して開墾した土地なら愛着もあるだろうけど、その分ちょっと色つけた補償で来はケリがつく話じゃないんですかね。 ちょっと探して見つけた徳保さんのコメント(転載しちゃいますが、ほとんど徳保さんのコメントなので構わないでしょ)。 http://bewaad.sakura.ne.jp/20060712.html ◆ 徳保隆夫 (2006-

    成田の話
    Sekihara
    Sekihara 2008/09/30