「最悪のシナリオは五輪中止。考えただけでも恐ろしい」。五輪競技の国際団体の理事は声のトーンを落として続けた。「それでも我々は生き残らなければならない」「秋までにコロナ禍が収束して国際大会を再開」「収束は遅れるが五輪は開催」「収束に至らず五輪中止」。団体の経営計画は3つのシナリオを想定し、事務所の一部閉鎖や人員削減も選択肢に含めているという。国際オリンピック委員会(IOC)と共に50以上の競技
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「1999年7月に人類が滅亡する」と“予言”し、社会現象となった「ノストラダムスの大予言」。その著者、五島勉氏が6月16日、90歳で死去していたことが「週刊文春」の取材で分かった。 五島氏の夫人が語る。 「2年半ほど前から心不全など色んな病気で病院を出たり入ったりしていました。今年に入り、難病の膿疱性の湿疹が再発し、背中に薬を塗るのを手伝いながら、『この夏を越すのは難しいかな』と思っていたんです」 6月上旬に体調が悪化して入院したが、やがて食事が摂れなくなり、そのまま6月16日に逝去した。 五島氏は1929年11月、北海道函館市生まれ。東北大学法学部を卒業後に上京し、1958年に立ち上げられた「女性自身」(光文社)に創刊号からライターとして参加。皇室や殺人事件の記事も執筆していた。 その後、1973年11月に「ノストラダムスの大予言」(祥伝社)を上梓。同著は〈1999年7の月、空から恐怖の
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