仕事で引っ越してきた某地方。 夜中はそこそこ暖かい。雨降ってたら秋でもムシムシするぐらい。 しかし、油断して毛布と掛け布団だと4時頃に寒くて目が覚める。 かといって、寝る前に重装備をしておくと暑くて眠れない。 エアコンのタイマーは設定がむずかしくてよくわかんない。説明書もない。 さあどうする。
仕事で引っ越してきた某地方。 夜中はそこそこ暖かい。雨降ってたら秋でもムシムシするぐらい。 しかし、油断して毛布と掛け布団だと4時頃に寒くて目が覚める。 かといって、寝る前に重装備をしておくと暑くて眠れない。 エアコンのタイマーは設定がむずかしくてよくわかんない。説明書もない。 さあどうする。
大勢に逆らうような意見がフルボッコになっている図を最近よく見かける気がする。 いや、分かってるのよ、別に誰かが先導して「逆張り野郎だ!つぶせー!」「オー!」とかやってるわけじゃない。 ただ単に、 はてなという場に、比較的似た性質の人が集まる似た人々だから、好むもの/嫌うもの、信頼するもの/否定するものも比較的近い好むものが否定された時、あるいは嫌うものが肯定された時に、個々のユーザが個々に(←これ大事)反発する結果的にフルボッコになるってだけだとは思う。 しかもはてブの性質上、すでにブコメが付いていた場合、ネタかぶりを気にするユーザはちょっと観点を変えたり、他のツッコミどころを探したり、他のネタを織り込んだりするから、四方八方から殴り倒されているように見える。 はてなの施策なのかユーザが増えてるのか、最近はすぐに1000users超えるし、ブコメのワンサイドゲームが激化しているように感じて
はしごたんリア充化計画が進行中。といっても私の力ではなく、はしごたんの自力の成果が大きい。 はしごたんリア充化計画 私がリア充になるプロジェクトを進行させているような印象ですが、これは事実とは異なります。 私が無職から立ち直り正社員になったのは、私の力です。齊藤さんは今のところDMで応援してくれただけで、実際に何かしてもらったわけではないです。 実際になにか協力したような誤解をされる発言「はしごたんの自力の成果が大きい」は如何なものかと思いました。いや、すべて私の自力の成果ですよ。 これは些細なすれ違いですが、このように覚えがないことを、いつの間にか、そうであるようにブログやツイッターで広められる違和感が徐々に増えてきました。 新しい仕事で疲れて、帰宅したら寝てるので、無職の頃ほど頻繁にDM出来なくなってきた。 でも齊藤さんは在宅ワークで、起きてる間は常時ツイートしてるから、すれ違いになり
私の住む地方は、雪は降るが積もりはしない比較的温暖な場所だった。 幼い私は、テレビに映る積もった雪にダイブする芸能人を見て「私もやってみたいな」と家族の前でこぼした。せがんだけわけではない。ただ、本当に口にしただけだった。 その翌年の春休み、日がまだ昇らない時間に出かけることになった。行き先は父しかしらず、家族の誰も目的地を知らないまま車に乗り込み連れられた。 そのまま私は寝てしまい、目を覚ました頃に見た景色は一面の銀世界だった。 一瞬、夢かと思うほど現実味がなく何と言葉にしていいのかわからなかった。 その後、直ぐに自然公園のようなところに車が停められ、私は急いで外に出た。 「雪だ!!!」 私に続き、家族が車を降りてくる。初めて見る、一面の雪景色にただひたすら魅了された。 「飛び込んでいいぞ」 父が私にそう告げた。その時、この旅行が私の為だと理解した。 あの時、何気なくこぼした私の言葉を覚
流行りの転生チートから、東京喰種、武装錬金、灼眼のシャナ、幽遊白書、ロボコップ……ウルトラマン以前が思いつかない。 追記:鉄腕アトムの場合、トビオとアトムとでアイデンティティが連続していない、というのが物語的にも重要なところだと思うので、ちょっと違う気がします。 追記2:8マン! いいですね! 暫定で8マンが最古ということで…海外SFやアメコミ方面からの情報もお待ちしております。 追記3:境界が難しいけど「放っておけば死ぬような重傷を負った」とかは「死んだ」に近い印象です。この点、009やライダーは健康体から改造されたので、ちょっと違う気がします。 1952鉄腕アトム死んだ子供の代わりにロボットが作られる(意識が連続してない)。19638マン死んだ刑事の記憶がロボットに移植される。1964サイボーグ009元の身体から改造されてサイボーグとなる(死んでない)。1966ウルトラマン死んだ男が宇
文章の最後に「文章が下手ですみません」とか書いてあることがある。これにいらっとする。下手だとわかっているなら書き直すべきだ。下手な文章を読ませるのは失礼な行為であり、読み手の時間を奪う行為でもある。最低でも書き直すべきだし、もっと言えば、上手な文章が書けるよう、日頃から練習すべきだ。 そして、日頃十分に文章の修練をし、当該の文章を十分回数推敲して丁寧に書き上げたならば、「文章が下手ですみません」などという弁明は要らないし、そもそもそんな言葉は出てこないはずだ。自信と責任をもって、堂々と相手に読ませられるはずだ。 要は、「文章が下手ですみません」にいらっとするのは、 日ごろ鍛錬を怠っていて その文章も明瞭に書く努力を怠っていて、 つまり、「文章が下手ですみません」とは本心から思っているわけではないのに、 文章の最後に取ってつけたように「文章が下手ですみません」と書いて許してもらおうというさも
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