「公安警察は、八王子のアジトで潜伏中の私たちの行動を監視していました。逮捕後に取り調べられた時、『捜査報告書』で人の出入りや服装のチェックも正確であることが分かった。それなら、私が都庁職員の方の指を飛ばす前に逮捕して欲しかった。悪いのは私だし、すべての責任は私たちにある。声高に『宗教弾圧』というつもりはないが、どうしてもっと早く、捕まえてくれなかったんでしょうか……」 5月21日、東京地裁で開かれた中川被告の第5回公判で、中川被告は泣きながら、そう意見陳述した。 この言い分はあまりに手前勝手であり、賛同できないのは当然だ。捜査当局は必ずしも、オウム真理教の実態をすべて把握していた訳ではないから、それだけで徒に捜査手法を批判すべきではない。ましてや、被告側が捜査当局に対して文句を言うなど、見当違いも甚だしい。 ただ、結果論的に言えば、公安当局の泳がせ捜査が、事件の発生防止に繋がらず、新たな被