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下世話なQ&A このQ&A集は、すべて三十番地教会牧師がじっさいにオフラインで受けた質問に基づいて、構成されています。 【パート1】 1.序論:「聖書に書いてあるから」ということ自体が聖書に対する冒涜である。 まず最初に、「聖書に書いてあるから、同性愛はいけない」と言うこと自体おかしいのだ、ということをはっきりさせておきましょう。 同性愛を非難するクリスチャンのうち、ほとんどの人が「聖書に罪と定めてある」と、聖書を引き合いに出します。このこと自体がたいへん欺瞞的なのです。 なぜなら、そのように言うクリスチャンのほぼ全員が、聖書に定めたとおりの生き方などしてはいないからです。 「同性愛者は死ななければならない」(参照:レビ記18章22節、20章13節)と言っているのは、旧約聖書のなかの「律法」と呼ばれる掟です。 しかし、同じ律法の中に、たとえば「反抗的な息子は殺せ」(参照:申命記21章18節
【ローマ=青木佐知子】AP通信などによると、ローマ法王フランシスコは、19日に世界16か国で出版されたカトリックのイエズス会系雑誌のインタビューで、教会はこれまで同性愛や中絶の禁止といった「狭量な規則」にこだわり過ぎてきたとの見解を示した。 法王は「重傷を負った人に、コレステロール値や血糖値を尋ねても無駄だ。まず傷を癒やすべきだ」との比喩を用いて、細かい規則にとらわれるより、救いを求める人に慈愛の心で接することが重要だと指摘。その上で、「新しいバランスを見つけなければ、教会の倫理体系は砂上の楼閣のように崩れ落ちるだろう」と警鐘を鳴らした。 法王は7月、「もし同性愛者が神の道を求め、善意を持っているのなら、私は裁く立場にない」と発言し、波紋を呼んだ。一部のカトリック信者の間では、法王が就任後、中絶反対などを明言していないことへの不満があり、今回の発言も議論を呼びそうだ。
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