アラブ海軍に対して使用されたギリシア火薬(『スキュリツェス年代記』の挿絵より) ギリシア火薬を充填する陶製の手榴弾、周囲のものは鉄びしである。10世紀から12世紀出土。ギリシャ・アテネの国立歴史博物館収蔵品。 ギリシア火薬(ギリシアかやく)とは東ローマ帝国で使用された焼夷兵器である。東ローマ帝国では海戦において典型的にこの兵器が使用され、これは水上に浮いている間ずっと燃え続けて多大な効果を上げた。この兵器は技術的な優位を与え、東ローマ帝国の多くの軍事的勝利において鍵となる役割を果たした。最も特記すべきはコンスタンティノープルをアラブ軍の2度に渡る攻囲から救出したことである。これにより帝国は生き残ることができた。 ギリシア火薬は西ヨーロッパの十字軍にある印象を作り出しており、ギリシア火薬という名前はいかなる種類の焼夷兵器にも適用され[1]、これらにはアラブ人、中国人、またモンゴル人によって用
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