節分の豆まきは終わりましたが、バレンタインデーが近づいています。でも、日本は、なんで様々な信仰に関係するお祝い事が多いのでしょうか。 クリスマスが祝われたり、豆まきや縁日などは神社や寺院で開かれます。冠婚葬祭もキリスト教や仏教、神道などがあります。 特定の宗教だけを信仰している外国人からは、様々な宗教の行事に参加する日本人が不思議にみえるそうです。 でも、この日本人の多様な宗教観っていいですね。窮屈でなく開放感を感じます。 私も子供のころから、神社や寺の祭りで、金魚すくいや綿アメを食べたり、クリスマスにケーキが食べられるのが楽しかったです。 平安時代は、死刑が少なかった? 古代の日本人は、とても信仰心が強かったようです。死者が祟ることを恐れた平安時代は、原則として死刑が廃止されていました。 これは仏教の影響もありますが、もともと古代の日本人は、たいへん自然への信仰が強かったことが影響してい
先日ライブで奈良に訪れた際、当日のイベンターさんにライブハウスの近くでおいしいラーメン屋さんがないか質問したところ「無鉄砲しゃばとん」をご紹介頂いたので訪問してきました。 こないだのライブの日記はこちら↓ trashmind.hatenablog.com 事前に食べログを見てみたところ、無鉄砲+二郎系という言葉が目に入りました。 気になりすぎる… 14時過ぎにお店に到着。駐車場も完備しておりナイスです。 ちょうど満席だったのですが、待っている人はいなかったのですんなり入れました。 券売機で食券を購入。 僕は豚そば750円と替え玉150円を注文しました。 注文時に野菜を入れるかとにんにくを入れるかを聞かれます。 は?二郎系で野菜入ってないとかありえへんやろ!?ってことで僕は野菜ありを注文。 にんにくはこれからライブなので絶対入れない方がいいのはわかってたんですが、我慢できずにちょっとだけ入れ
織田信長は、なんでも自分ひとりで決断して実行するというイメージがあります。参謀とか相談役が存在していたのかどうかは不明です。 これは信長は日記とか自分の考えを書物に残さなかったことが原因ですが、師とする人物がいたことは確かです。 ポルトガルの宣教師から西洋の進んだ文明を教えられ、信長は驚嘆しました。信長が自ずから豪華な食事を宣教師の前に運ぶほど、尊敬の念を表しました。 茶道の師である千利休に対しては、信長は弟子という立場で接していました。 大名の嫡子であった信長は、幼少より「若様」と敬われ恐れられていたので、千利休にズケズケと説教されることに、新鮮な喜びを感じていたようです。 これらのことから、気性の激しい性格の信長ですが、優れた人物に対しては粗暴ではなく、たいへん尊重していたことがわかります。 少年時代の師は、沢彦宗恩 信長の幼名は、吉法師(きっぽうし)です。「信長」の元服名の名付け親が
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