そうです。その頃から彼は有名でした。 記録だけで言いますと、 その古橋さんに競(せ)っていたのが オリンピックメダリストの橋爪四郎さん(※9)。 この2人から、約25メートル遅れて いつも3着に入る人がいた。 のちに3代前の早稲田大学の総長を勤めた西原さん(※10)です。 その人から、さらに50メートルくらい遅れて、 4着に入る人がいたんです。
ですから、モノをつくるということに すごく特別な思い入れと気持ちがあるんです。 で、モノをつくるときに なぜこんなに長い時間エネルギーをかけたり、 休みをつぶしたりしてでも、ちょっとでもよくしたいかというと、 それを味わった人に、面白いと感じていただいたり、 ニッコリするのが見たいからなんです。 鈴木さんの動機や、その職人魂的な部分でも 極めて、たぶん近いところにあるはずだというのが わたしの仮説でもあるのですが。 そうですね。 どうしたら面白くなるだろうとずっとやっていました。 いまでも多くの人から 「『面白ゼミナール』をやってらっしゃいましたね」 と言われることが多いのですが、わたくしにとっては 「ああそうか、そういう番組をやっていたこともあるな」 という程度なのです。 中身はひとつも覚えてないんです。 自分で問題をつくったり、資料も集めましたけれども、 「一丁あがり、一丁あがり」の職
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