Webページに対する付加情報としては、「あとで読む」よりも「本当に役に立った」のほうが役に立つ、という話題。 結城はtextfile.orgというニュースサイトを運営していますが、後から読み返すと、 そういえばそういうページもあったなあ。 と思うページは多いけれど、 うんうん、このページはほんとうに良かった。役に立ったよ。 というページは少ないものです。 みなさんも、自分のブックマークを振り返ってみてはいかがでしょう。 「本当に役に立った」というページはどこでしょうね。 babieさんが、クヌースのエディタは?という疑問を呈しておられました。結城の記憶ではEmacsだったかと。その証拠に、Programs to Readの中にはいくつかEmacs関連のものが。 向井さんのところで紹介されていた数学パズルがおもしろかった(via ひらいさんち)。 最初はこちらを読みます つぎにこちらを読みま
■ミニスカートの幾何学 32cmの攻防戦 早朝、東名高速で事故渋滞にはまってしまった。仕方がないので、TVを眺めていると、面白い話をやっていた。それは、ミニスカートの丈の話である。何でも、最近の流行はミニスカートの丈が32cmのものであるらしい。女子高生?などが言うには、 「34cmだと長いしぃ。」 「30cmだと下着が見えちゃうしぃ。」だから、32cmだと言うのだ。別に、オリンピック選手でもないのだから、ミニスカートの丈の限界まで挑戦しなくても良いだろう、と私などは思ってしまう。しかし、彼女たちはそう考えないらしい。人それぞれである。 それにしても、スカートの丈が32cmと30cmの間でそんなに、違いがあるものだろうか? 「見える・見えない」を決める分水嶺がその2cmの違いにあるものなのだろうか? 妙に不思議である。 そこで、ミニスカートの幾何学について考えてみることにした。題して「3
先日、Twitterにこのようなことを書いた。 特にネットでは、ぼくは意見の正否「だけ」で相手を判断するつもりはもはや全くない。下品な人間の相手をすることはいやだし、ひとの悪口を安全なところから吐く人間にかかわるのもいやだ。しらないひとと不毛な議論をする意欲もない。それで当然だと思っている。そうすべきでない理由はあるだろうか? 「意見と人格は切り離して考えるべき」「嫌なやつのいうことでも正論は正論」という考え方があることはわかるけれど、逆にいうと「いくら正論をいっていても嫌なやつは嫌なやつ」であるわけで、そういう人間は遠ざけたい。遠ざけることが逃げだとは思わないし、閉塞だとも感じない。精神衛生上の問題。 まあ、「意見だけはとりあえず受け入れて、その人物は遠ざける」というのがいちばん適切な対応かな……。「批判は受け容れるべき」という言葉には条件付きで賛成できるけれど、「批判は無条件で受け容れ
ここ3日ほど仲間うちで話したことが個人的に非常におもしろかったので、かるくまとめておきたいと思います。何の話かというと、まあ、ヒーローとヒロイズムの話ですね。たぶん同人誌にも載せると思うんだけれど、とりあえずここに書く。 さて、物語のなかの典型的なキャラクターとして、なぜかわからないけれどひとを救いまくっている人物像があります。こういうキャラクターをヒーローと呼ぶことにしましょう。ウルトラマンとか仮面ライダーとか鉄腕アトムとか孫悟空とかルフィとかうしおとかそこらへんのことですね。 そこで、そもそもひとがひとを救うとはどういうことだろうか?と、そのことを考えてみます。いってしまえば、それは、そのひとが抱えている問題を解決するということだと思うのです。 つまり、ここにいじめられている可哀想な女の子がいるとする。「救う」とはただいじめっ子をやっつけることに留まらず、その子が今後もいじめられないよ
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