今回の区長選で大きな争点だったのが中野駅周辺の再開発、特に中野区役所と中野サンプラザ地区の再整備計画だ。区役所の移転に伴う解体と中野サンプラザの解体により、両施設を一体的に開発し、1万人収容の大規模アリーナを目玉とした複合施設を建設する計画が進む中、現職の田中大輔氏が計画の推進を訴えたのに対し、酒井氏をはじめとするほかの3候補は反対や慎重姿勢だった。 そこで、中野駅北側のまちの姿や再整備にあたっての経緯を見ながら、中野区役所・中野サンプラザの再整備計画について考えたい。 関東大震災後に発展した街、中野 もともと中野は武蔵野の農村地帯にあり、地名の由来も武蔵野の中にあることからと言われている。 そんな農村地帯だった中野の都市化が始まったのは1923年の関東大震災後のことだ。家を失った人々などが移り住み、中野周辺の人口は激増した。併せて中野駅も乗降客が激増する。1922年の乗降客が1日あたり約
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