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ブックマーク / takerunba.hatenadiary.jp (2)

  • 「朝まで生テレビ」は「ディベート」ではありません - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    で「ディベート」がどうも勘違いされている原因として、次のふたつがあるんじゃないかと思っております。 オウム真理教と上祐史浩氏 議論テクニックとしての狭義の「ディベート」という言葉が注目を浴びた最初のきっかけに、1995年当時、オウム真理教の広報部長として活動していた上祐史浩氏の存在があげられます。 「ああ言えば上祐」という言葉があったくらい、あらゆる批判に対し雄弁に反論する彼の姿がテレビ上などで繰り返し放映されていた。その彼のバックボーンに、学生時代のディベートにおける活動があり、その面が過剰にクローズアップされた結果、上祐氏が雄弁であることをディベートに紐付けられた。 「朝まで生テレビ」と田原総一朗氏 もうひとつが現在も放映されている「朝まで生テレビ」と、その代名詞的存在とも言える田原総一朗氏。 テレビ番組の中で、最もメジャーな討論番組ということもあり、「ディベート=討論・議論」とい

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  • 異常が異常でなくなること - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    これ。秋葉原のルイーダの酒場。 アニメとアキバ系カルチャーの総合情報サイト - アキバ総研 昨日秋葉原に行ったので、様子を見てきたんだけど、まあ凄いね。みっちり。「よくもこんなに」というくらい人がいた。夏なのに、たくさんの人間が密集して。暑いぞ。少し距離とれよ。 で、やや遠めから眺めて、そして近づいて、で、最後に実際に自分でもすれ違い通信をしてみたんだけど、距離に応じて自分の感覚の変化がよくわかる。 遠めにいるときは、完全に傍観者で他人。「何? あの人たち……」という通りすがりの通行人と同じ感覚。「こんな街中で何やってんだか」という半分呆れ顔の人たちの一員。変な人たちを見ている自分。そんな自分は一般人。 続いて集団に近き、自分もすれ違い通信をはじめてみる。距離がある時点では気恥ずかしい。さっきまで自分もその一員だった「何? あの人たち……」という通行人の一言が自分に刺さる。しかし距離をつめ

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