戦争を体験した世代、眼の前で戦友がバラバラのグチャグチャになったり家族全員黒焦げになったり自分自身も体が不自由になったりしたその人びとは 戦争が終わった後、ずっと誰にも配慮して貰えなかった。 戦争は絵空事のフィクションの種としてさんざん消費され、一方で現実の戦争体験は反戦平和を訴えるという決まり切った文脈・パッケージでしか語りようがなかった。 その莫大なフラストレーションや怨念はどこに行ったか?といえばどこにも行かなかった。それぞれがじっと抱えて生きて死ぬしかなかった。 「戦争体験に比べれば自死遺族なんかあまっちょろいよ」という話をしてるわけではない。 我々は同じ空間を生きてるようでそれぞれ別の宇宙にいるということだ。多重露光みたいに別々の世界が重なって見えているだけなんだ。 上っ面の「配慮」なんてあってもなくても大した違いはない。