教育と社会アンフェアに関するTemaki_Zusiのブックマーク (3)

  • http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080711-OYT1T00389.htm

    Temaki_Zusi
    Temaki_Zusi 2008/07/13
    残念ながら「愛媛ではよくある話」と言ってしまう地元なオレ。
  • 伝わらないことはどちらの責任か? - ペン君流ことわさ日記。

    http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127を読んでいて思ったこと。 http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080525/1211664691の方が公開当時のものに近いのでこちらを参考にする。 「可哀想じゃないですか致命傷の人を見捨てるなんて」とか言ってこられると、なにを聞いていたんだろうと思う。でもそういう非常事態では、特に医療資源は有限だからこそ、適切に配分しなければならないという考えなんだよ、とくどく説明した直後にまだそれを書くか。 http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080525/1211664691 果たして教え方が正しかったのか? 「なにを聞いていたか」ではなく「なにを言った」のかということ。教育とは、受け手が内容を理解して始めて成立するものである。たとえ教育者が発したことの全てが正し

    伝わらないことはどちらの責任か? - ペン君流ことわさ日記。
    Temaki_Zusi
    Temaki_Zusi 2008/05/25
    教育機関たるものが当然のように『付いて来れない人は切り捨てられる。』を実践してきているわけだが、それが本当に教育機関として正しい姿なのかと常々疑問に思っていた。教育ってなんなんだよ、本当に。
  • 小学生に英語を必修させる必要があるのか? - 内田樹の研究室

    文科省は学習指導要領を改訂し、小学校五年六年から英語を必修化することを決めた。 愚かなことである。 日語がこれだけできなくなっている知的状況で二カ国語を学ばせる意味がどれほどあるのか。 特にオーラル中心の語学教育の子どものメンタリティへの影響については、もうすこし真剣に考えた方がよろしいのではないか。 英語運用能力を重視する教育機関で何が起きているか、みなさんはご存じであろうか。 論理的には当たり前のことであるが、それは「英語運用能力の高さにもとづく人間的価値のランキング」である。 「英語が他の教科に比較して際だってよくできる」という条件をクリアーしてその教育機関に入学した学生は、当然ながら、「英語ができることは、きわだってすぐれた人間的能力である」というイデオロギーのかたくなな信奉者になる。 これはごく自然なことであるから非とするには当たらない。 けれども、そのような学生たちの教場での

    Temaki_Zusi
    Temaki_Zusi 2008/02/17
    そもそも、いつまでたっても小学生に教えるべき教育の基礎を定められない大人達に、「小学生に外国語を必修させる」と言われたところで、疑問視しないわけにはいかない。
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