世の中に起きていることや社会のしくみについて個人がそれぞれ独力で知識を得て理解したうえで判断するなんていうことはあまりにも非効率的だし,それ以前に物理的時間的制約から不可能です。したがって,それぞれの分野にいる専門家がこれまでの知見を集約して議論し,ほかのひとに判断材料として提供したり,場合によってはある程度の判断をおこなったりするわけで,そうした専門家個人あるいは集団は当該分野の「権威」として社会から認知されることになります。 そうした「権威」をあまりに無批判に受け入れてしまい自ら判断することをしない態度は好ましいものではありませんが,「権威」に対して過剰に否定的なのもバランスに欠けます。まして「権威」とされるからこそ正しくない,なんていう極論になってしまうと,それは「権威」ゆえに無批判でいるのとたいして変わらないレベルです。ほどほどな懐疑を持ちながらおおむね妥当なものとして受け入れると