『極私的肉体詩「砂ノ音」』藤條虫丸(The Physical Poets)photo:海野隆京都の舞踏とコンテンポラリーダンス 京都は舞踏のメッカである。というと、驚かれるかもしれない。 舞踏は、1959(昭和34)年、土方巽が大野慶人と『禁色』を上演したことで始まったとされる。そして、土方巽と大野一雄が舞踏を生み出した。 その土方の元から、1972年に生まれたのが大駱駝艦で、麿赤兒が主宰し、現在も活動を続けている。その創立メンバーの一人、大須賀勇が、1980年に白虎社を結成して、京都で活動した。白虎社は、土方の「暗黒舞踏」に対して「明るい暗黒」を標榜し、東南アジアなどでも公演を行い、大規模でエンターテイメントな舞踏キャバレー的世界をつくりだした。その白虎社出身の舞踏家たちの活動が、現在も、京都を中心に活発なのだ。 白虎社は1994年に解散したが、所属した桂勘、今貂子、由良部正美ら、さらに