【The Evangelist of Contemporary Art】リボーンアート・フェスティバル考―アートと被災地と復興(2) 日和山から見下ろす景色に、3.11の残酷な出来事がオーバーラップして、今日の穏やかな日が信じられない気がした。しかし、あの日の痕跡は残っている(残されている)。そのとき当事者(大惨事を経験した者)と非当事者(経験していない者)の絶対的な差違は埋められないと実感した。加害者と被害者の溝が埋まらないのとまったく同じように。ならば今は犠牲者への追悼しか、我々にできることはないのではないか? 石巻市民は大震災の当事者(経験者)であり、雨宮は非当事者(非経験者)である。雨宮をして、深い裂け目を架橋するのに二重、三重の仕掛けを必要とさせたのは、それだ。他にも、その断絶を痛感させる作品があった。災害の当事者と非当事者の決定的な違いが現れた作品といえば、石巻の隣町、女川の漁