2015年5月14日のブックマーク (2件)

  • 「あなたたちに、おかあさんの居ない人の気持ちがほんとうにわかるか?」 - いつか電池がきれるまで

    松岡享子さんの『子どもと』(岩波新書)のなかに、こんな話が出てきました。 国民学校の最後の一年余りは、親や先生たちにとってはたいへんな時期だったと思いますが、わたしは、よい先生に恵まれて幸せでした。担任のH先生は、よく作文を書かせました。あるとき「おかあさん」という題が出ました。わたしが書いたのは、おかあさんというものはありがたいものだ、おかあさんのいない人はどんなにかつらいだろうというものでした。それまでの作文は、戦地の兵隊さんを思い、わたしたちも銃後の守りを固くし、よく勉強して、はやく大きくなり、男ならば兵隊さんに、女ならば看護婦さんになってお国のために尽くしたい、と書くのが決まり、つまり、要求されているように書く、建前を書くものだと思っていましたから。 ほかにも同じようなことを書いた人が大勢いたのでしょう。先生は、あなたたちに、おかあさんの居ない人の気持ちがほんとうにわかるか? わ

    「あなたたちに、おかあさんの居ない人の気持ちがほんとうにわかるか?」 - いつか電池がきれるまで
    Toshi-shi
    Toshi-shi 2015/05/14
    そうですね。ま、どうして書かなきゃいけないのかという問題は残りますが。どうしても書きたい。ならば本音を書こうよ、ということでしょうか。本当にどうしても書きたいのか、それが問題だ。
  • 子どもがいる夫婦の『母の日』問題 - いつか電池がきれるまで

    次の日曜日、5月10日は『母の日』ですね。 毎年、ゴールデンウイークが終わった……と油断しているとやってくる『母の日』。 しかし、僕にとっては、近年、どういうスタンスで迎えるべきなのか、悩ましい日になっています。 僕の実母はもう10年以上前に亡くなっているので、心の中で感謝を述べることくらいしかできないのですが、毎年「どうしようかな」と考えるのは、のこと。 彼女は僕にとってはですが、息子たちにとっては「母」になります。 で、お互いに「パパ」「ママ」なんて呼び合うこともある。 息子はもう小学生になったので、そろそろ、自力で『母の日』のお祝いを考える時期なのではないかと思うのですが、ここ数年は、僕が長男に「教育的指導」をしていました。 「ほら、もうすぐ母の日だから、お母さんに何かプレゼントでもあげたら?」 しかしながら、そういうときに息子に対するの反応は、けっこうキッチリしているんですよ

    子どもがいる夫婦の『母の日』問題 - いつか電池がきれるまで
    Toshi-shi
    Toshi-shi 2015/05/14
    同じことを思った。妻は母ではない。が、なぜか妻は私に「今日は母の日だ」と家事手伝いを要求する。